非正規労働者めぐろくみこのブログ

非正規労働者が日々感じていることを書いたログです。

下り坂をそろそろと下る  平田オリザ

新年は、まとまった時間ができるだろうと思って、たしか反知性主義の本も買ってあったはずだが、実はぜんぜん読書の時間が取れなかった。
反知性主義の本どころか、去年夏頃買った本を今読んでいるありさま。

平田オリザ著の「下り坂をそろそろと下る」(講談社現代新書)は、2016年4月20日に初版が出て、4月27日にはすでに第二版が出ている。
ちょっとした話題作だったのだろうか。

平田オリザは演劇人で、劇団「青年団」を主催し、劇作家としても演劇の芥川賞と呼ばれる岸田國士戯曲賞を受賞、東京芸大大阪大学で教授を勤め、数々の演劇のワークショップを開催している。
さらに、著作も多く、私も何冊かは読んだ記憶がある。

一読すると、内容がどうも散漫で、統一性に欠ける。

まず最初の書き出しは、
「まことに小さな国が、衰退期をむかえようとしている。」である。

これは、平田オリザが敬愛していると思われる司馬遼太郎の、小説「坂の上の雲」の冒頭を真似ている。
坂の上の雲の出だしは、「まことに小さい国が開花期をむかえようとしている」だ。

この小説は不思議な小説で、主人公は正岡子規秋山好古、真之兄弟で、舞台は松山である。
そして、この小説は少し読んだが、読みにくいので読むのをやめてしまった私にしては珍しい小説である。

しかし、出だしの感じからも、この小説の明るい雰囲気や心の中に青空が広がっていくような広々とした気持ちになったのを覚えている。

著者は、「日本は明治近代の成立と戦後復興、高度経済成長という2つの大きな坂を、2つながらみごとに登りきった私たち日本人が、では、その急な坂をどうやってそろりそろりと下って
いけばいいのかを、旅の日記のように記しながら考えていきたい」と書いている。

そして、

    ・日本はもはや工業立国ではないということ。
    ・この国は、成長はせず、長い後退戦を戦っていかなければならないのだということ。
    ・日本という国は、もはやアジア唯一の先進国ではないということ。

そもそも労働人口の減少というより少子高齢化が進み、労働人口の7割が第三次産業に従事、そして労働者の約4割が非正規労働者なのである。
「日本はもはや成長社会に戻ることはありません。」と断言している。

この本の主旨はこれでもうすでに言い尽くされている、と言っていい。

中を読むと、演劇人であり、大学の教授である平田オリザが、アートによる地方再生や、あるいは高等教育、大学入試改革や、演劇による大学教育まで、いろいろな場面でこれからの日本を模索し、さまざまな試みを行っていることが紹介されている。
しかし、私から見れば、今の日本は労働者の約4割が非正規労働者であり、貧困がすべての原因とは言えないが、親によるネグレスト、虐待が後を絶たず、貧困層は増大している。
平田オリザの優れた教育を受けられる恵まれた若者達は、いったいどれくらいいるんだろうか。
今の日本で一番大きな問題は、この格差をどのように埋めていくかで、これはもう政治が何とかするしかない。
その格差を埋めていった先に、平田オリザの試みが活かされるのではないかと思われる。
だから、平田オリザの試みの数々を紹介すればするほど、だんだんテンションが下がっていくのは仕方のないことだ。

しかし一方では、この本の後半で、アジアの中で同じように下り坂を降りていかなければならない韓国について、映画「国際市場で逢いましょう」を引き合いにしている箇所が興味深かった。
映画「国際市場で逢いましょう」は、2014年に韓国で公開され、大ヒットした映画だそうである。
その後、日本でも上映されたらしいが、私は知らなかった。
それで、DVDを借りてみた。

この映画のあらすじはこうである。
朝鮮戦争の1950年、主人公のドクスは北朝鮮興南からの引き上げ船で、ドクスがおんぶしていた末の妹が海に落ちてしまう。
その妹を探すため父が下船したため、妹と父と生き別れてしまう。

当時まだ幼かった長男のドクスは、父から「お前がこれから家長となって家族を守れ」と言われる。
この映画は、その言葉を守り、釜山の国際市場(日本のアメ横のような所)で小さな店を守りながら父を待つ、ドクスという名も無き男の人生を描いている。
ドクスは家計を支えるため、大学進学をあきらめ、西ドイツへ炭鉱労働者として出稼ぎにいき、のちに妻となる韓国人女性と出会い、韓国に帰ってから2人は結婚する。

やがてベトナム戦争が始まると、韓国も参戦し、今度は妹の結婚費用のためにベトナムへ出稼ぎに行く。

平田オリザの説明では「1960年代、外貨獲得のため、出稼ぎ労働者として海外へ進出し」「過酷な労働輸出で得た外貨が韓国の工業化の原資となった」のだという。

ドクスはベトナムで足を負傷し、そのために足を引きずるようになったが、何とか帰国することができた。
やがて、ドクスも年を取り、子どもたちも大きくなった。
国際市場は再開発地区となり、店の立ち退きを要請されるが、ドクスは周囲の反対の声を聞かず、店を手放そうとしなかった。
それは、密かに生き別れになった父を待っているからである。

その後、テレビ番組を通じて、船から落ちた妹と再会したことでドクスは気持ちのケリが付き、店を手放すことを決意する。

この映画は、1人の韓国人の人生を描きながら、一方では韓国の現代史を描いている側面もある。
この映画を見た多くの韓国人は、そこに自分の人生を重ね合わせ、そして多くの共感を得ることが出来たので、大ヒットしたのだろう。

歴史的な出来事や著名な人物が出てきたり、いろいろなエピソードをつなぎながら、悲惨なシーンや残酷なシーンも少なくないが、韓国人の明るさやバイタリティーや強さが映画によく出ている。
長い映画だったが、途中ダレるところがなく全く飽きることがなかった。

また、カメラワークが独特で、窓の外の景色が映し出されて、ぐるっと廻ると景色の色とか景観が変化して、時間経過を表している。
そして、そこに映し出された景色は、日本の景色と全く遜色のない高層ビル群や高速道路が走っている現代の韓国の姿である。

平田オリザが書いているように、韓国はもうすでに先進国なのである。

そして、映画のラストでは、再会した妹や、親戚一同が集まる。
皆、豊かで幸せになっているところが救いだ。

最後に主人公が亡き父に向かって、「お父さんの言いつけを守って、家族を守ったけど、でもつらかった。」とはじめて父にだけ本心を打ち明けるところにホロリとした。

韓国は日本と同じ家父長制で、父は家族の中心で、絶対的な存在であり、そして家族を守るべき強い存在でなければならない。
この言葉に、韓国も日本と同じように強い父、という立場から降りて、あるいは上り坂から下り坂へ降りていく時代に差し掛かっている、ということを暗示しているような気がする。

最後に平田オリザは、下り坂を降りるのは悲しいことだが、我々日本人はその悲しみに耐えて行かなければならない、と書いている。

2017年2月11日の東京新聞で、上野千鶴子が、「日本は人口減少と衰退を引き受けるべきです」と述べている。
そして、「みんな平等に緩やかに貧しくなっていけばいい」という。
「国民負担を増やし、分配機能を強化して、社会民主主義的な方向を目指」せばいいのだ。

だからいきなり飛躍すれば、原発もオリンピックも必要ないんである。

この前の国会では山本太郎議員が、安倍首相にこのように質問していた。

「総理、あなたがこの国の総理でいる限り、この国の未来は持ちません。
最後にお伺いします。
総理、いつ総理の座から降りていただけるのでしょうか?」

この発言は、審議を重ね、国会の議事録から削除されるようである。

この発言を日本のマスメディアはどこも報道せず、日本はすでに地獄の1丁目1番地に向かっている。