非正規労働者めぐろくみこのブログ

非正規労働者が日々感じていることを書いたログです。

雑記

とても久しぶりに書いています。

 

コロナ禍の中でも相変わらずのバイト生活。

起業してボチボチ低空飛行からなんとか離陸できそうな、出来なさそうな感じです。

 

コロナ禍の中でもバイトは他の人が時短になっているのに、私はコロナが流行るちょっと前にバイト先にかけあって、一日30分の残業を申し出て、1ヵ月手取りでなんとか20万もらえるようになった。

社会保険や諸々の雑費を引かれても、手取り20万はありがたい。

朝6時から午後3時半まで。

8.5時間労働だが、ここのところ清掃のシフトの内容がやけにハードになっていて、今日その理由を人づてに聞いてもらうと、

他の人はコロナで時短になっているのに、私だけなぜ残業させているのか、その理由を会社側に説明させるために、仕事量を増やしている、とのこと。

ここ数ヶ月、とても1人では時間内に終わらないのでは、と思うことが多くなっていたが、それは仕事を割り振っている現場の管理責任者の嫌がらせではないかと思っていた。

今日やっと、上記のような理由がわかったが、責任者はなぜ私がこんなにハードな仕事をさせているのかの説明が、今まで全くなかったのが、腑に落ちない。

この責任者は現場ではみんなの嫌われ者で、とにかくアルバイトや契約社員と何度も揉めている。

特にラストのバイトに入っている女性と揉めて、バイトの女性が「辞める」と啖呵を切ったが、結局この現場の責任者の上司が間に入り、責任者の顔を見たくないので、今まで午後3時から8時までの出勤を、この責任者が帰る4時半に出勤して9時半まで、と時間をずらすことでなんとか収まった。

結局の所、彼女は他のバイトを探したが、いいバイト先がなかったのだ。

新しいバイト先は、彼女以外は日本語が全く通じない全員外国人だったそうだ。

仕事内容もよくわからないが、何も考えずに、ただひたすらテーブルを拭く仕事だったという。

さらにその現場責任者も日本人ではなかったそうだ。

これからの現場はそんなふうに、外国人の中に混じって仕事をするようになるんだろうか。

いくら人手不足とは言え、今はコンビニのバイトでも日本人であるより、一体どこの国籍の人だろう、と思うような人が増えている。

ひところの韓国人や中国人がコンビニでバイトすることは、今ではほとんど見ない。

あのコンビニでバイトしていた韓国人や中国人は一体どこに行ったのか。

一方この現場でも世間の例にもれず、日常的に人手不足である。

会社側は辞める、と啖呵を切ったバイトをなんとかなだめて、時間が変則的になるが、引き止めるのに必死だった。

この辞める、辞めないで揉めたのは、コロナのちょっと前である。

コロナの感染拡大で全国が自粛モードになった時は、テナントビルも夜は時間が短縮され、ラストのシフトに入っている人は時短となった。

しかし、私は日中の勤務だったので、時短はまぬがれたのだが、その分仕事量がふえる、というおまけがついた。

お金の目処もなんとかついているので、今辞めてもっと楽なバイトに移ることや、辞めるという選択肢がないではない。

しかし、もう一つ踏ん切りがつかない。

コロナはまだ世界的に感染が収まっておらず、さらに収束に向かったとしても、世界的にどんな経済的な打撃を受けるのか、また、それが自分自身の生活にどのような影響を及ぼすか、見当がつかない。

だから、仕事は今動くことが得策なのか、はたまたきっぱりバイトを辞めてしまうのがいいことなのか、全く予測がつかない。

今がちょうど潮目の時期にきているのはわかるが、それですぐに動くことはできない。

現場の責任者と話してみて、皆が嫌うだけあって、つくづく嫌な男である。

話していると、「じゃあ、もう辞めます」と思わず啖呵切って辞めたくなる気持ちがよくわかる。

自粛生活が長引いていても、私の日常はそんなに変わらず、家とバイトの往復と、深夜の副業生活である

結局観たい映画も自粛モードで休館になってしまった。

たまに、パソコンで動画を見たり、youtubeを見たりしている。

 

今気に入っている曲は、

G-FREAK FACTORYというグループの歌うヴィンテージという曲だ。

https://www.youtube.com/watch?v=Ctr_IiOWo30

 

同じ職場にいる20代の女の子は、マッチングアプリで婚活して、自粛モードになっていても、婚活のために出歩いている。

結婚したら、清掃の仕事を辞めて、派遣で事務の仕事をするのが夢だそうだ。

しかし彼女はスマホは使えてもパソコンはできないので、私は事務の仕事はむずかしい、と教えてあげた方が親切かと、ちょっと思ったりしている毎日である。

非正規労働者の現場

夜勤で働いていた2人のベトナム人は勤怠が悪いのでクビにして、日本人を入れたが、結局その2人も辞めてしまった。

それで新しく夜勤の人が入ってきた。
一人は土日専用で、もうひとりは徳井さんという男の人だった。
土日はなんとか定着して働いているらしいが、この徳井さんという人がちょっと変わっていた。
50をちょっと超えたぐらいの長身で、痩せた地味な感じの人だった。
週に1回、日勤のラストで夜10時上がりのときに、夜勤は深夜11時から作業が始まるのに、この徳井さんは夜10時過ぎには来ていた。
それで、何度か会ったことがあった。
どちらかというと無口でおとなしい印象はあったが、あまり気にしなかった。

開店前の清掃が間に合わないので、大口さんという夜勤の人に1時間残業してもらい、清掃を手伝ってもらうことになった。
その大口さんがよくこの夜勤の徳井さんのことについて、こぼすことが多かった。
「51にもなってロクに挨拶ができない。」とか、
「今度の新人は本当に優秀で困っちゃうよ。」とか、
「入り口正面に顔を向けて座っているので、事務所に入ってきた人はみんなぎょっとして、気持ち悪がっている。」
とか言う。

そしてついにダメ出しに、月曜、火曜と無断欠勤し、
「あいつ、もう来ないよ。」
と言っていたが、やっぱり水曜も来なかった。

色々聞いてみると、その徳井さんは生活保護を受けている人なので、最初に面接に来たときは福祉事務所の職員と一緒にきたそうだ。
募集のシフトは、深夜11時から7時までで、時給は1350円である。
一日働けば1万ちょっとにはなるので、それで週5働けば、月に20万にはなる。

夜勤の仕事はキツイので、普通の人でも辞めていく人が多い。
それが、今まで生活保護を受けていて、ほとんど働いていない人がそんな週5も働けるだろうか。
週5日働かせてくれ、と言ったのは福祉事務所の職員だった。
夜勤の人たちは、週5はできないよねぇ、と言い、きっと生活保護を打ち切りたいからそんなことを言ったのだろうと、言っていた。

とにかく最初来た時から、仕事はできなかったそうだ。
見たところ、体に悪いところはなさそうだが、それでも何か精神疾患を患っているかもしれず、
大口さんは最初、
「失礼ですが、身障者ですか?」
と聞くと
「いいえ、違います。」
と答えたそうだ。
最初はメモを取ってください、と何度も言ったがメモも取らなかった。
さらに、
「挨拶はちゃんとしてくださいね。」
と言ったが、最後まで挨拶しなかった。
そして、だんだん慣れてくると、
「これはやりましたか?」
と聞くと、
「ハイ」
と返事はするが、確認するとやってない。
「やってないじゃん。
なんでやってないの?」
と聞くと、
「忙しくてできない。」
「忘れた。」
「疲れてできない。」
と言い訳するようになった。

最初は楽な仕事からはじめて、だんだんキツい仕事や複雑な仕事をするようになると、さらに手を抜くようになる。
その上、仕事の段取りをメモしていないので、
「じゃあ、もう一通り説明したから、明日からは自分ひとりでやって。」
と言うと、次の日から来なくなった。

「とにかく、教えてるこっちの方が、精神がまいっちゃうんだよ。」
と大口さんは最後は言っていた。

みんなはあれは計画的だよ、と言う。
やってみると仕事がキツイので、やりたくない。
これならまた生活保護を受けた方がいい。
からしばらく働いて、
「ここは合いません」
とか言って辞めてしまうんだろうという。

「考えてみると、案外ズルいところがあるんだよなぁ。
体は別に悪いところはないし、字を書かせれば普通に字を書いて、記入の仕方も理解できる。
だから理解力がない、というわけではない。
「強いて言えば、怠け者で、人とのコミュニケーションがうまくできないんだな。」
と大口さんが言っていた。
記入の仕方というのは、鍵や充電器の管理台帳で、別にむずかしいことを書くわけではないが、それでもその書き方がわからない人もいるんである。

なるほどこれが生活保護受給者なのか。
本当に生活に行き詰まって生活保護を受けざるを得ない人もいろだろうが、こういう人も一定数はいると思われる。

ベトナムから出稼ぎに来ているふぁんさんは、語学学校に行きながら、学校が終わったあとは配送センターでバイトをし、土日は大型店舗で清掃のバイトをしているので、ほとんど毎日休みなく働いている。
プライベートな時間はまったくないのではないか。
語学学校の寮に入り、なるべく生活を切り詰めて、国に仕送りをしているそうだ。
寮は同じ国の出身者と母国語で話し、バイト先ではとりあえずニコニコして、わかったふりをして「ハイ、ハイ」と言ってはいるが、会話は成り立たない。
ほとんど日本語を話す機会はないので、1年と半年過ぎてもほとんど日本語が上達していない。

こういう日本に出稼ぎに来ている外国人労働者生活保護受給者は、早稲田大学の教授、橋本健二氏の著書「新・日本の階級社会」によれば、今の日本の階級社会の中では、最下層のアンダークラスと呼ばれる階級だろう。
そして、この清掃の現場で働いている人達は、パートの主婦などもいるが、大半はアンダークラスである。
そのアンダークラスの最下層が、言っては悪いが、こういう外国人労働者生活保護受給者なのではないだろうか。

夜勤の女の人が、
「徳井さんがまた生活保護をもらうようになったら、そのお金は私達の税金から出ているんだからね。
ああいう人たちのために私達、こんなキツイ仕事して税金払っているわけじゃないんだよ。」
と言っていた。
確かにそのとおりで、こんな低賃金で働きながら税金を取られている身としては、こういう生活保護受給者のためにその税金が使われている、と思うと、なんとなく納得がいかない。
しかし、だからといって、生活保護受給者が全員こういう人たちばかりではないのも確かだ。
この辺がなんとなくモヤモヤするところなのかもしれない。
弱者がさらに下の弱者を叩く構図、とよく本では書いてあるが、これはこういうことなのだろうか。
こういう人たちを毎日相手にしている人たちは、毎日どう感じているのだろうか。
たとえば、NPO法人もやいの人たちに対しては、お仕事ご苦労さまです、と言いたいが、なぜか福祉事務所の人たちには、そういう感情がわかないのはなぜなのか、謎である。

外国人労働者

日勤のふぁんさんは、ベトナム人の27歳の女性で、お姉さんが関西の方に住んでいるそうだ。

午前中は日本語学校に通い、午後は某宅配便の配送センターでバイトしている。

そこに某国立大学に留学しているベトナム人がいて、その男子学生の紹介でこのバイト先に来た。

27歳といっても女性、というより女の子、という感じである。
色黒のニキビ顔で化粧けもなく、女の子らしいおしゃれもあまりせず、パンツにカジュアルなシャツを着て、足元はスニーカーだ。

最初、日本に来てまだ1年もたっていないのだろうと思っていた。
それでも日本語は日常会話ぐらいはわかるのかと思っていた。
しかし、それはどうも違う、ということが最近わかってきた。
初めは、なにか説明すると、笑顔で「ハイ、ハイ」といい返事が返ってくるので、意味が理解できているのかと思っていた。
ところが、彼女たちの「ハイ」は「わかりました」の「ハイ」ではなくて、相槌の「ハイ」なので、本当に言っていることがわかっているわけではないらしい。

つい最近までその笑顔と「ハイ」に騙されていた。
ところが、ある時具合が悪そうなので、「切りのいいところで帰ってください。でも、帰る時は必ず誰かに言ってから帰ってね。」と言ったことがあった。
しばらくして、彼女の姿が見えなかったので、一体どうしたのかと皆が心配した。
結局彼女はまだ帰っていなかったが、自分が帰る時に断ってから帰る、ということが、どうも理解していなかったらしい、ということがわかった。
何回も何回も念を押して言い、笑顔で「ハイ、ハイ」と言ったあの返事はなんだったのか。

また、ある時ホワイトボードに張られていたメモを読んでもらうと、ひらがなは読めても、漢字が読めなかった。
「No.4の鍵が見当たりません。」と書かれたそのメモは、鍵と見当たりの漢字の部分が読めない。
これでは何が書いてあるのかわからない。

私達が説明したことが実は全然理解できていなかった、と気がついたのは、つい最近のことである。

清掃の仕事は、先に仕事の手順をやって見せるので、そのやり方を見れば、だいたい仕事の内容は理解できる。
まだ若いので、直ぐに仕事の手順はすぐに覚えることができたのだ。

しかし、それは表面的なことで、結局のところ、言われたことしかできないし、仕事の内容を本当に理解できているわけではない。

考えてみると、彼女は私たちに積極的に話しかけてくることはあまりなかった。
性格はとてもシャイで、同年代の日本人の女性と比べても、とてもシャイだが、これは国民性なのか、彼女の個性なのかわからない。
何か話しかけてくれば、片言でニコニコして話すことはあったが、それは考えてみれば、本当に初歩的な会話に過ぎなかった。
だから、ちょっと込み入った話をしても、わかっていなくてもニコニコ笑いながら「ハイ、ハイ」と言う。
少し複雑な話をしようとしても、しどろもどろになって、ほとんど説明できない。

あまりにも日本語ができず、どうも意思の疎通ができないので、ある時パートの女の人が
「日本に来てどれくらいになるの?」
と聞いてみると、なんと日本に来て、もう1年と半年になるという。
日本に1年以上いるのに、ほとんど日本語がわからないことに、私たちは衝撃をうけたのだった。
毎日日本語学校に通い、さらに試験前になると、土日のバイトを休ませてくれ、と言ってくるが、これでは意味がない。

さらに彼女は、
日本語学校に行くのもいいけど、私たちとおしゃべりすれば、日本語の勉強になるんじゃないかしら。」
と言ったそうだが、相変わらずニコニコしているだけだったという。

冬の寒い頃に来たから、もうこのバイトに来て半年はたった。
最初は真面目にやっていると思っていたが、彼女の性格や勤務態度を見ていると、何となくちょっと困った子だな、と思うようになった。

それは、まず挨拶ができない。
事務所に戻ってきても無言で、出かけるときも無言である。
いくらなんでも、事務所に戻ってきて、誰かいれば、お疲れ様、ぐらいは言ってね、と最初は言ったこともあった。
「あいさつ、大事。」というとニコニコして「ハイ、ハイ」と言う。
大型店舗なので、店舗の社員も大勢いるし、清掃の親会社の人もいるし、その他にも裏方の警備などのスタッフもいる。
最初はわからなくても、だんだん慣れてくれば、顔も覚えるはずで、親しくなくても「お疲れ様です。」ぐらいの挨拶はしてほしい。
中には清掃員の挨拶など、人によっては無視されたり、まるで誰もいないかのような態度をされることもあるが、それは末端労働者なので仕方ない。
その上、親会社のセンター長が、「お疲れさま」と言って、思いっきり無視されたと言っていた。
挨拶されてもされなくても、こちらからは挨拶する、これが日本の常識である。

そういう挨拶が、もう半年になるのに、まるでできていないのはいかがなものか。
注意してから、控室を出ていくときに、たまに何か言うことが2、3回あったが、その言葉が意味不明だった。

この職場は、清掃の人間が4人時間をずらして働いているが、それぞれシフトによって基本的な作業内容が決まる。
その上、店舗は広く、さらに4人のうち2台、スマホガラケーをそれぞれ持っている。
それではオペレーションが悪いと、清掃会社もさすがにおもったのか、最近ガラケーがもう一台増えたが。
電話には警備の人や店舗の人などから、店内でガラス瓶が割れたり、水漏れ、嘔吐、トイレの汚れ、つまり、店舗内の汚れなどがあると、連絡が入り、清掃に行かなくてはならない。
トイレなどの巡回をしているときに連絡が入ると、作業を中止して行かなければならないので厄介である。

この緊急呼び出しの内容はいろいろだが、お酒売り場ではしょっちゅうワインや日本酒などの瓶割れがあり、さらに通路に延々と排泄物が垂れ流してあり、その道筋をたどると、男子トイレのトイレの個室に行き当たり、そのトイレの便器も汚れていたりする。
一時は男子トイレのオムツ入れに、大人のおむつが5,6個毎日のように捨ててあり、それを処理するのが大変だった。
さらに、夏や冬などは子供の嘔吐が多い。
嘔吐物の処理はビニール手袋、マスクをし、さらに嘔吐物を糠やトイレットペーパーを丸めたものなどでまとめ、それを新聞紙にくるみ、消毒液をかけて、二重にしたビニール袋に入れて、さらにその中を消毒液をかける。
ビニール袋の中に紙エプロンや手袋、マスクを入れて、厳重に口を縛る。
そして嘔吐した周辺のものはすべて消毒液で消毒し、その上で水拭きをし、乾いた雑巾で拭き取り、きれいにする。

こう書いてみるとかなりの作業量のように思うだろうが、もう慣れてしまったので、大したことはない。
しかし、それでも手間はかかり、やはり数十分はかかる。
緊急呼び出しが来たときに、まず確認するのは場所で、何階の何売り場、とか、何番レジ前とか、あるいはどのあたりの通路であるとか、女子トイレか男子トイレか、その場所がどのような状況なのかの確認である。

こうしたことは、わからないなら何度も確認できるが、日本語が全くおぼつかないふぁんさんにはとても電話は渡せない、としてずっと渡さずにいたら、結局半年たってもなにも変わらない状態になっていた。

他の人が緊急連絡で忙しく働いていても、彼女は我関せずで、マイペースで働いている。
回りの状況から臨機応変に対応する、ということはできない。
最初に入った時に教えてもらったこと以外はやらないし、やろうとしない。
皆がそれぞれの現場で忙しく働いている時に事務所に入っていくと、彼女がのんびりと椅子に腰かけて、スマホyoutubeを見ていたりする。
自分の決められた仕事さえしていればいいと思っているのだろう。

その上、当日になってからのドタキャンが2度あった。
1回目はお姉さんが東京に来ている、と責任者に電話があり、その後どうしたいのかしどろもどろだったので、話を整理しながら聞くと、どうも当日はバイトを休みたい、ということだったらしい。

2度めは、同じ清掃員の人の携帯に意味不明のショートメールが来たらしい。
日本語になっていないので、何を言いたいのかわからない。
そういうショートメールを数人に送ったらしい。
最後にやっと責任者にメールを出して、意味不明のメールをやり取りしているうちに、どうも今日は休みたい、ということがわかったらしかった。
その時はすでに彼女のシフト時間が過ぎていたので、仕方なく責任者が現場に向かう頃にはお昼すぎになって、その日の仕事が遅くなってしまった。
彼女のメールには「学校の先生は学校が大事、と言っています。」と書かれてあったという。
学校の先生は、バイトは休んでもいいが、学校は休まず行きなさい、と言いたかったのではないか、と言っていたが、だから何?と思わずにはいられない。

最初の「お姉さんが東京に来るので休みたい」という言い訳は、東南アジアのアルバイト学生が休む時によく言う言い訳なんだそうだ。
2度目の休みの時は、意味不明のショートメールが送られてきたが、休みたいなら電話で休みたい、と言えばいいように思うが、やはり休みたい、と当日言うのは気が引けたのだろう。
それもなんで休みたかったのか、意味不明だが、結局のところ、毎日学校と午後のバイトが月曜から金曜まであって、その後土日は午前11時から午後8時まで丸々一日働きづめで、1週間休みがないのだ。
さらに日本のこの猛暑に疲れもたまっていたのだろう。
それは考えてみれば仕方のないことで、普通の日本人だってこの暑さには大分まいってはいるのだ。
しかし、それでも他のアルバイトの人は、ドタキャンしたりはしない。
それは、ギリギリのシフトを組んでやっているのがわかっているので、休めば他の人の迷惑になるのがわかっているからだ。
休む時は事前に早めに言わないと、人の手配がつかない。

結局のところ、わからなくてもわかったふりをしてニコニコしてやり過ごしてしまったので、1年を過ぎても日本語が全然上達していない。
最初は熱心に仕事をしていても、慣れてくると見えないところでは手を抜いたり、嘘を言って休んだりするようになったので、案外ずるいんじゃないかと思われるようになった。

こうして見ると、最初からもっと厳しくいろんなことを教え込んだり、注意すればよかったのか、とも思う。

非正規の現場でももっと厳しいところだと大変だろうが、本当にマニュアルどおりのことしかさせないところでは、もう日本人とか外国人とか、関係ないのかもしれない。
それはそれでなんだかなぁ、と思う。
なかなか決まらなかった土日のシフトに外国人でもやっとシフトが埋まったので、責任者は最初は少しぐらいは多目に見て、あまり厳しいことは言わないで、長い目で見ていこうと思っていたらしいが、ドタキャンが続いたり、仕事ぶりがだんだんわかってきたら、このままでは困る、とは思っているらしい。
しかし、現実問題として、人が足りない限り、結局こういう子でも使わない訳にはいかない。

夜勤のベトナム人の女の子が二人いたが、この2人もふぁんさんと同じ人の紹介で入った。
しかし、やはり二人いると、おしゃべりやサボりが多くなり、仕事も手を抜くようになり、さらにドタキャンでよく休むようになった。
この二人は、午前中は学校に行き、その後は配送センターでバイトをし、さらに夜勤でこの現場で働いていたそうだ。
他の夜勤の人に言わせると、「いったいいつ、お風呂に入るのよ」ということらしかったが、それでは体も持たないだろう。
新しく日本人が決まったので、この二人はクビにしたが、結局あとに来た日本人は体がきついと言い、もう一人はこの仕事はやりたくない、と思ったので辞めていったのだ。
こういう汚くて疲れる仕事は、結局日本人はやりたがらないので、外国人か高齢者が低賃金でやるようになる。
だから時給が上がらないと、ネットか本で読んだことがある。

ふぁんさんは別に犯罪に走るとか、何かひどいことをするわけではない。
しかし、置かれた環境の中で、何となくこ狡く立ち回るようになったり、あまりきれいとは言えない事務所の奥の着替えの場所で平気で寝たりするので、人によっては「やっぱりお国柄なのかしらね、あんな汚いところでよく寝られるわね。」と言われたりする。
お国柄、というのはやはり見下した言い方だと思うし、自分達だって寝てはいないが、あんな汚いところで着替えているではないか、と私は内心では思っている。

今の大型店舗でも人手不足なので、人を募集しているが、外国人の場合、募集案件には「日本語が堪能なこと」と書かれている。
たぶん、身元などもしっかり調べられるのでないか。
たしかに中国人や外国人と思われる人たちも働いているが、日本語は堪能で、挨拶もしっかりしているし、頭もいい人たちだ。
中国人の女の人は、たぶん配偶者が日本人で、日本で生活している人たちだと思われる。

やはり同じ職場で働く場合、言葉の壁は大きく、言葉がある程度通じれば、仕事もうまく回るんだろうか。

少し前の新聞記事では、ベトナムから介護職員として1万人の労働者を受け入れるそうである。
ふぁんさんのような人が1万人来るんだな、と思ったら、介護の現場は収集がつかなくなるだろう。

やれやれである。

人手不足

夜勤の後藤課長は、最近はほとんど顔を出さなくなったので、仕方なく辻次長がシフトなど人の管理をやることになった。
辻次長は50ちょっとでたぐらいの男性で、役職から見ても、在職年数が長く、この業界のこともよくわかっているのか、何を言われても淡々と業務をこなしていく。
達観している、というべきか。
後藤課長のように、アルバイトの電話には出ず、意見もろくに聞こうとしないのに比べると、アルバイトの話は聞くし、口調もやさしい。
温厚でやさしそう、頼りがいがある、と最初は思っていた。
しかし、その態度や物言いをよくよく見てみると、一見人の話を聞いていそうで、辻次長本人がどうでもいいと思っていることや、メンドクサイことは話してもスルーしているんである。

今はどこでも人手が足りない。
ご多分にもれず、この現場でも人手が足りていない。

会社は15日締めで、シフト表はその締め日に合わせて夜勤のシフト表が控室の入り口に貼ってある。
それを見ると、1月16日から2月15日までのシフト表の欄外に赤い○が付いていた。
その横にメモが貼ってあり、「1月中旬から2月中旬まで、7人作業のところ、赤い○の付いている日は6人以下で作業しています。月にして、約半分です。
人員の補充のご配慮をお願いします。」
と書かれており、その横に大野、と書かれてあった。
大野君というのは30前後の青年だ。
就活がうまくいかなかったのか、夜勤の清掃をやっている。
真面目に仕事はするが、いろいろ会社に対して意見したりするので、会社側からすれば、ちょっと理屈っぽく、メンドクサイ人かもしれない。
しかし、消耗品の発注など、責任者のいない夜勤の細かい雑用を大野くんがこなしているので、夜勤の仕事はなんとか回っているんである。

夜勤は日勤の人たちに比べてもいい加減な人や事故や病気になったり、急に休む人が多い。

ある地下アイドルの二人組は、日中はダンスなどのレッスンや劇場に出演したり、いろんなオーディションを受けるため、遅刻したり早退したりしていた。
それは、最初の面接していた時に辻次長が許可したので仕方がなかったが、他のアルバイトの人たちはそれをかなり不満に思っていたようだった。
さらに2人のうちの1人は、とうとう疲労骨折になって入院し、その後自宅安静となって結局辞めてしまった。
もう一人の地下アイドルは心細く思ったのか、一人が入院してしまったのでしばらく来なくなった。
その後連絡を取って来るようにはなったが、だんだん遅刻が多くなり、さらに当日になってドタキャンするようになった。

それがあまりにも多くなり、連絡も当日の作業時間ギリギリになって連絡がくるようになった。
シフトの予定もスケジュールの都合でギリギリにならないと組めない。
結局辻次長が、当日のドタキャンは原則認めない、前日の5時までに連絡すること。
ただし、急に体調が悪くなった場合などは仕方ないとしたが、急なドタキャンは欠勤扱いになり、減給になる場合もある、と通達を出した。
それでもドタキャンが続いたので、とうとう辻次長がその地下アイドルに「ちゃんとシフトどうりに行けるようになったらまた来てください。」と申し渡した。
地下アイドルは「それって、クビってことっすか。」と聞いていたが、結局の所そのとおりだろう。
休みは早めに連絡すること、とか、ドタキャンしないように、とか最初は注意していたが、それがどんどんひどくなっていった。
何日も無断欠勤していても、数日後にシレッと現場に現れたりしたこともあったらしい。
それでも、「すいませんでした」の一言もなく、急に現場に来て、「あれ?オレの作業服知りませんか?」なんて、平気で聞いてきて、回りは呆れていたらしい。

その他にも、日中は配送のバイトをこなし、2、3時間の仮眠を取って夜勤の仕事をした青年も、結局睡眠不足のために事故を起こし、2ヵ月の入院になって辞めていった。
ある60代の女性はダブルワークで仕事の帰り、疲れて居眠りをして、急いで降りようとして階段から転げ落ちて背中を強打し、背中の骨がずれて腰痛になったそうだ。
それで清掃の仕事を続けられなくなり、しばらく休む事になった。
辻次長は、クビにはせずに、「しばらく休んでください。」と言っていた。
そして、とうとう人手が足りなくなったので、何回も電話をしたが、結局電話には出なかったそうだ。

その他にもある主婦の人も、ある日来てみたら、自分のシフト表に○がなかったので、急に「辞める」と言い出して、そのまま帰ってしまったという。
入り口に貼ってあるシフト表は、夜勤の責任者が作っていた。
ところが後藤課長が辞める、辞めないの話になり、後藤課長がシフト表を作らなくなった。
それで、シフト表は自己申告制になったのだ。
だから、自分のところに丸がついてなくても、自分で出勤できる日に丸をつけなければならなかったらしいが、その女の人はそれがわからず、キレて辞めてしまった。

こんなふうに色んな人が次々に辞めていったり休むようになり、残った人の仕事の負担が増えたが、辻次長がなかなか人員の補充をしなかったので、それを不満に思った大野君はとうとう辞めてしまった。
辻次長の対応が遅かったのだ。
結局新しい人員の補充に、ベトナム人が2人と、60代の日本人の男の人が2人入ってきた。

しかし、結局60代の日本の男の人は2人とも辞めてしまった。
辞めた理由はそれぞれで、体力的にきつい、と言って辞めていった人と、もう1人は何も言わなかったが、とてもバカバカカしくてやってられない、と思って辞めたんじゃないかと、夜勤の人たちはいっていた。

日勤の女の人が夜勤の清掃の仕事を、「こういう仕事は日本人が嫌う仕事なのよ。」と言っていた。
夜勤の清掃の仕事は、これからは外国人が多くなるんだろう。
事実、その後入ったベトナム人の紹介でさらにベトナム人が2人入った。
夜勤の人に言わせると、日本人は入ってもすぐに辞めてしまうか、しばらく働いて辞めてしまうが、紹介で入ったベトナム人は絶対にやめないと思うそうだ。
夜勤はとうとう外国人率が上がっていて、7人の作業員のうち、ベトナム人が3人とか4人になって、約半数が外国人労働者である。
工場のラインの仕事だと、もっと多いかもしれないが、7人しかいない現場で半分が外国人、というのは本当に人手不足なんである。
そして、外国人労働者が増えるとどうなるか、というと、同じ国の人たちが固まると、サボったり、おしゃべりが多くなる。
さらに集団で勝手にいろんなことをするようになる。
たとえば、スプレーに入れる液体が同じ色ということで、全く違う液体を入れてしまう。
それを日本人の夜勤の人が気がついて、そのスプレーの液体を捨てたので、大事には至らなかったらしい。
夜勤の清掃では危険な液体なども使うが、きちんと管理できているんだろうか。
前辞めた大野君がそういった薬品なども管理していたが、今はいったい誰が管理しているのかわからない。

連絡ノートや壁に連絡業務を書いても、ベトナム人は日本語もたどたどしく、日本語が読めない。
その上責任者や管理する人がいないので、ベトナム人にきちんと連絡業務や説明が行われているとは思われない。
夜勤の日本人でさえ、連絡ノートも読まないし、自分の持ち分の仕事しかしない人が多いので、横のつながりやコミュニケーションが図れているとは思われない。
その上、全く違う言語を話す人たちがいて、そのうち事故が起きるかもしれない。

今はこういう末端の清掃の仕事は、ベトナム人が多く、韓国人や中国人はいない。
以前コンビニで中国人、韓国人と思しき外国人がよくバイトをしていたが、今は見かけなくなった。

夜勤のベトナム人の紹介で、ベトナム人の女の子が日勤の土日のバイトに入って来た。
彼女が入ってきた日に、辻次長から別件で電話がかかってきていて、
「彼女は真面目にやってますか?」
「真面目に一生懸命やってますよ。」
と答えたが、
「最初が肝心だから、キツく言ってください。」
などと言われてしまった。

この言い方に驚いていたが、たしかに夜勤のベトナム人はいつもツルンでいて、おしゃべりが多く、だんだんサボるようになったと言う。
そして、夜勤にベトナム人が増えてから、店舗内の清掃は以前より汚くなったのは確かだ。

若い日本人の若者は、ドタキャンが多く、仕事以前に常識がなかったりするが、一方真面目な日本人はこうした現場に嫌気がさして辞めてしまう。
年配の日本人も、こうした身体のキツイ仕事は出来ないか、やはりバカバカしくなって辞めてしまう。
結局残るのはこうした外国人労働者である。
しかし、外国人労働者が悪いわけではないが、外国人労働者は言われたことしか出来ない。

新しく来たベトナム心の女の子が、教えた仕事の順番を替えてしまったので、なんで替えたのか、と聞いても、日本語がたどたどしいので、うまく説明出来ないでいる。
相手の言っていることは分かっても、自分の考えを伝えることができないので、ベトナム人の考えていることが結局はよくわからない。
それでも仕事の順番には、仕事の流れの意味があるので、その順番どうりにこなしていかないと困る、と説明して、その順番でやってもらうことにした。
結局、見よう見まねで相手のやっている仕事をすることは出来ても、仕事の意味を理解しているわけではないんである。

それでも日勤は外国人が一人で、さらに一緒にシフトに入っている人が、言葉は悪いがいつも見張っているので、大事には至らない。
これが夜勤のように半分以上が外国人だったら、と思うと、ゾッとする。

生産性を上げる、ということは労働環境を整えるところから始めないと上がらないが、今の企業の考え方は、そうしたことに投資もせず、さらに考えも至らない。
ただ単純に人件費を安くあげたい、さらに人手が集まらなければ外国人労働者を雇えばいい、という安直な考え方である。
今は末端の労働環境がこれだけ劣化しているんである。

もう一人の正社員

夜勤の後藤課長は、最近はほとんど顔を出さなくなったので、仕方なく辻次長がシフトなど人の管理をやっている。
清掃の控え室のドアには夜勤の人の手書きのシフト表が張ってあるが、夜勤の契約は7人のところ、1月下旬はから今月頭まで、半分は6人で作業していたらしい。
定員が6人のところは赤マルがついているので、一目瞭然である。

定員割れは、実は夜勤だけでなく、日勤でも大木さんというベテランの清掃員が辞める前までは土日などは人手が足りず、4人のところ2人で仕事をこなしていたらしい。
大木さんは仕事はできたが、なんでも自分で仕事を抱え、仕事の内容を回りの人に任せたり、手つだってもらうことがなかったので、彼女が辞めるまで、彼女がどんな仕事をしていたのかは謎だった。
日勤と夜勤の消耗品の手配をしていたり、長く働いていたから、店長から注意を受けていた箇所の掃除も一人でやっていたので、彼女が辞めて店長から電話がかかってきて、そう言えば大木さんがよく掃除をしていた、と気がついたりした。
仕事はてきぱきしていたが、性格はきつく、辞める直前では、機嫌が悪いのが端で見ていてもよくわかるので、誰も話しかけなくなった。
週2日休みがあったが、腰痛もあり、一日8時間労働は結構体はきつかったかもしれない。
さらに、忙しい土日は2人で仕事をこなしていたのだから、かなり疲れも溜まり、ストレスもあったらしい。
だからなのか、日曜日のの翌日の月曜日は控え室に入った時から誰も声をかけられないほど、ブスッととして機嫌が悪かった。
ほとんどの人が腫れ物にさわるような対応だったのだ。
それでもこの職場は人がコロコロ代わり、彼女は古株だったので、細かい

正社員。

今の現場の仕事は、流通関係の店舗の清掃である。
流通大手、さらにこの店舗も大型店だ。
警備や保守関係は子会社になり、その子会社の下請けに私が契約している清掃会社が入っている。
そして、この店舗に派遣されて清掃をしているんである。

清掃は、日勤は午前8時から夜10時までで、1日4人が時間を重複しながら勤務する。
夜勤は深夜11時から翌朝8時までで、契約ではたしか8人だと思うが、その8人が全員で清掃を行う。
これが本清掃で、店舗が閉店してから本格的な清掃を行うのである。
だから日勤の清掃は主に店舗内の清掃点検で、開店してから汚れたところを清掃したり、店内のゴミ出しなどが主な仕事である。

日勤と夜勤の責任者はそれぞれ違うが、その責任者は他に幾つかの現場を受け持っているので、常にいろんな現場を回っているので常勤しているわけではない。
受け持ちの現場に問題や事故があった場合、現場に行って対処したり、始末書を書いたりするわけで、さらに清掃会社の本社に行ってさまざまな業務もこなさなければならない。

以前は日勤の責任者が常勤していたが、その人はアルバイトで時給が100円だけ高いだけの女性だった。
この女性の評判が悪く、おばちゃんの多い清掃スタッフの中で一番で若かったが、その年上のスタッフや、特に気に入らない人にはキツイ言い方をしたらしい。
それ以外でも店長や店舗の人たちなど全員から嫌われ、さらに清掃会社の支社長まで嫌ったため、この現場から外されたのである。
しかし、こんなに評判の悪い人でも人手不足なのか、他の現場で働いているらしい。
もっと待遇のいい職場を探しているらしいが、条件を選びすぎているのか、転職できずにいるらしい。

一方、夜勤では契約社員として常駐している50代前後の男の責任者がいた。
その人は刈谷さんといって、いつも外でサボってタバコを吸っていたので、元請けの人たちの間でも問題になっていた。
最初は一人で吸っていたが、そのうちバイトのフランス人のピエールと連れ立ってタバコを吸うようになったらしい。 
ピエールは最初は真面目に働いていたが、刈谷さんの影響で感化されたんだろう。

社員や出入りの業者は、入店する時は裏の通用口から出入りし、必ず警備員室の前を通り、社員はセキュリティカードでチェックするし、業者は必ず会社名、氏名、入店時間などの入店記録を記入することになっている。

警備員室を通ってから、清掃員は地下の清掃控室に入って、タイムカードを押すのである。
刈谷さんは、このタイムカードをわざと押さず、手書きで本社立ち寄りとか、テキトーな理由を記入して早く帰ったり、遅く来たりしていたらしい。

しかし入口の入店記録の時間をみれば、タイムカードの内容や時間と違っていることは一目瞭然である。
その上日常的に仕事を手抜きし、サボってタバコを吸っていたので、結局去年の9月にはそうした証拠をつきつけれられて契約更新できずにクビになってしまった。
たまに控室で刈谷さんと話をすることがあったが、話題が豊富でいろいろなことをよく知っていた。
8時上がりのはずなのに、いつも時間前には着替えてスマホをいじっていた。
ところがクビになることが決まってから、9月前にはほとんど姿を見せなくなった。
日勤の責任者を嫌って、絶対に顔を合わせないように帰っていた、というので、クビが決まってから私とも顔を合わせたくなかったので、時間をずらして帰っていたんだろう。
今思いだすと、刈谷さんは清掃会社の担当営業も馬鹿にしていたし、社会や世の中を舐めている感じがした。
どうも一生懸命働くことがバカバカしい、と思っていたのかもしれない。

刈谷さんが辞めたので、夜勤の常勤の責任者もいなくなった。
そして、ピエールは一人でサボるようになって、結局はクビになった。

ある時、次長が来て、「誰かこの現場の責任者になってくれないか。」とバイトの人たちに聞いたが、だれも返事をしなかったそうだ。
夜勤の女の人が言うには、「当たり前じゃん。責任者になりたくないから、バイトしてるんだし、責任者になっても大してバイト料が変わらないんだよ。」と言っていた。

清掃会社の営業の夜勤の責任者は、後藤課長という40代半ばの男だが、忙しいのかほとんどこの店舗の現場に顔をだすことがない。
バイトの人たちは、日常の業務で細かい問題や連絡事項があるので後藤課長に電話をするが、まったく電話にでないそうだ。
仕方がないので、留守電にメッセージを入れても返事がないので、頼んだことをやってくれない。
こんなふうなので、夜勤の人たちは結局後藤課長は相手にされず、仕方がないので上司の辻次長に電話するようになった。

この後藤課長は私も何回か会ったことがあるが、身長は180センチ近くあり、スポーツをしていたのか、かなりガタイがよく、色黒で顔が角ばっていて、ホームベースのような顔をしている男だ。
本社の他の担当営業に言わせると「後藤さんのあの性格は一生直りませんよ。」と言われていたが、「あの性格」というのはいったいどんな性格なんだろうか。
みんなに聞いて見ると、「メリハリがない。」とか、「流されやすい。」と言われていた。
クビになった刈谷さんは、「後藤課長は仕事の優先順位が付けれらない人」と言っていた。
バイトのみんながいろいろ言われるが、そのうち他の現場で次々と問題が起きるので、他の現場に行っているうちに、頼まれたことが皆中途半端になって結局何もできていない、ということになるらしい。

清掃会社は基本的にはブラック会社だ。
後藤課長は欠員のある現場で作業をしたり、問題のある現場に緊急に呼び出されて対処したり、始末書を書いたり、さらに本社に行って事務処理を行ったりすると深夜になり、そのまま会社で仮眠を取って早朝の現場に行く、ということを日常的に行っている。
入社してから代休は1度も取っておらず、1日平均10時間勤務はザラで、休みも月に数えるぐらいしか取れないようだ。
毎日クタクタになるまで働いて、結局精神的にも肉体的にもボロボロになった。

それでうつになり、気力体力が持たなくなったので、昨年いっぱいで辞めたい、と言っていた。
しかし上司の辻次長が「もう少し頑張ってみないか」と説得されて、残留することになったのだ。
昨年辞める時は、「心を病んでいるので、温泉に行ってしばらく休みたい。」と言っていたのだが。
やはり後藤課長は回りが言うように、優柔不断で流されやすい人なのかもしれない。

しかし、よく考えてみると、後藤課長が仕事ができる、出来ないにかかわらず、自分から仕事を辞めたい、と言うべきではなかったのかもしれないと思う。
後藤課長は、こんな働き方ではとても体が持たないので、負担を軽くするように配慮してくれ、もっと具体的に言えば人を入れてくれ、と会社に申し出るべきなのではなかったか。

人が足りないので、もうちょっと頑張って見ないか、なんて口車に簡単に乗ってしまうのは、後藤課長の性格だからなのか。
残留が決まってから、もうハラをくくったのか、今の現場の夜勤の仕事は全くタッチしなくなったようだ
だから、夜勤の人たちは、実は後藤課長がなぜ首にならず、未だに会社にいるのかが、理解できない、と言っている。。

非正規労働者は時間給なので、仕事にはシビアになり、自分にメリットのないことはしなくなった。
実はこのしわ寄せが正社員に及んでいるんである。
本当は清掃の人員が足りない場合は、その穴埋めは担当営業が行って清掃を行うことになるが、夜勤は常に1〜2人は常に欠員である。
だからこれが元請けにバレると契約違反になるが、夜なのでわからないんだろう。
しかしその分、清掃はかなり雑になっているので、そのうちバレるかクレームになるだろう。

今国会がやっと開会され、働き方改革を行う、と安倍首相は所信声明で言っていたが、「働き方改革」は実は「働かせ方改革」である。
いかに正規労働者を合法的に安い賃金で長時間働かせるか、経団連と知恵を絞って考えたのではないか。

みんな正社員なれば雇用問題は解決される、というのは幻想である。
相変わらず過労死や過労自死が後を絶たない。
正規労働者は今や、正社員の身分のために命を削って働いているように見える。

貧乏は気力、体力を奪う。

結局、もう2社面接が決まっていたが、先に面接に行ったところが面接を受けてすぐに採用になったので、そこに決めることにした。

その清掃の現場は、某大手流通会社の大型店舗である。
と言っても、大手流通会社といえば、日本では数社しかないので、ちょっと細かいことを書けばきっとわかってしまうだろう。
一応、アルバイトでも秘密保持の契約書を書かされているので、あまりはっきりとは書けない。

仕事は、朝8時から午後5時までで、9時間拘束、1時間休憩で、8時間労働である。
今までの清掃は、大体4時間とか5時間だったので、8時間というのはものすごく長く、仕事が終わるとヘトヘトに疲れてしまう。
会社員で働いていた時は、こんな長時間働いていたのかと、今更ながらに驚いてしまう。
この8時間労働というのが、月、火、水と3日続き、休みの木曜日になると、睡眠不足と筋肉痛で疲労困憊である。
さらに金曜は同じ店舗で夕方4時半から10時まで。
5時間半のシフトの時は30分の休憩である。

この大型店舗の清掃で、週に29時間労働になるので、社会保険に加入することになった。
最初に面接を受けた時に、希望する時間と曜日を伝えると、週に20時間を超える労働の場合は社会保険に加入することになる、と言われたからだ。

これで毎月滞納している国民年金の催促の手紙や電話、非正規労働者と思われる年金職員による催促の訪問から逃れられるので、ちょっとホッとした。

研修で仕事を教えてもらった角田さんは、65歳の女性だった。
彼女の話では、最初に仕事を教えてもらった人は、その現場の責任者だった。
ところがその責任者という女性は、その現場では一番年下で、さらにその人もアルバイトの女性だったそうだ。
はっきりモノを言う人だった、といえば聞こえはいいが、口の聞き方を知らないというか、かなり失礼な言い方をしていたので、他の清掃のパートの人たちからはかなり嫌われていたらしい。
事務所にある洗濯機を他の現場の人が使おうとすると、とても失礼な言い方で断ったりしたそうだ。
それでクレームになり、結局他の現場に行ってしまった。
角田さんはその人から研修を受けていたが、2回の研修後、「私、今日でこの現場の仕事は終わりなんです。」と言われびっくりしたそうだ。

他のパートの人も、「この現場を辞めても他で雇ってくれるんだから、やっぱり人手不足なんですね。」と言っていたが、言外にあんな人がクビにならないでいるのが不思議だ、と言いたいらしかった。
失礼なものの言い方と相まって、いつも事務所にいて仕事をしなかった、というのも多くの清掃の人達の不満の一つだったらしい。
しかし、責任者になると、本社の連絡や細々とした事務仕事があるので、それも仕方のないことだったのではないか、とも思う。

みんなは辞めてヤレヤレ、と思っていたらしいが、その後1ヵ月後ぐらいは責任者がいなかった。
だから、この現場はものすごく荒れた現場である。

表の店舗は、深夜11時から早朝7時まで本清掃をするので、一応きれいだが、その裏のバックヤードと言われる清掃の事務室や従業員トイレ、従業員用の廊下、階段はかなり汚い。
これで良く店舗側からクレームがつかない、と思うぐらいだったが、他の店舗から来た人に言わせると、こういった業態の店舗ではよくある話らしい。

新しい現場の仕事が週に29時間とやめよう辞めようと思いながら続けている、土曜日だけのテナントビルの清掃の現場が4時間労働なので、週にして33時間労働ということになった。
今まではオフィスビルの清掃は、月曜から金曜まで、毎日3.5時間、さらに土曜のテナントビルの清掃が4時間、週に14.5時間労働である。
時給1100円として、ざっと計算し、さらに社会保険料を多めに2万控除されると考えても、月に約4万から5万ぐらいはは収入が上がると思われる。

簡単に言えば、労働時間が増えたので、収入が増えただけの話。
その分自分の時間は減って、さらに労働時間が増えたから、やはり体もしんどい。

それでも月に4、5万円の増収は大きい。
仕事を教えてくれた角田さんは、今年65歳になり、年金受給者となった。
顔立ちも細面で、扁平な体つき、話し方もおっとりとして、穏やかなその顔立ちや姿や立ち振舞から、ごく普通の専業主婦に見える。
しかし、あまり細かい事情は話さなかったが、彼女は離婚して子どもたちは独立し、自分ひとりで暮らしているという。
年金も今年からもらえるようになったが、仕事が決まり、毎月まとまった収入が増えるので、貯金もできるし、社会保険と年金に加入出来て、本当に良かったと言っている。
結婚生活が何年だったのか分からないが、どう考えても家庭と仕事を両方をバリバリこなして来たようには見えない。
支給される年金額はどれくらいだろうか。
平成20年度から離婚分割ができるようになったが、そんなに高額とも思われない。
年金がたとえば5万だとして、バイト代が月額15万ぐらいになるので、月収は20万ちょっととすれば、女1人住まいなら何とか貯金ぐらいはできる金額かもしれない。
経済的な不安から解消されたので、夜も良く眠れるようになったという。
だから、この職場でずっと働きたいそうだ。

その気持ちはよくわかる。
よく人は、幸せはお金ではない、と言うが、年収1000万円以下の人の場合は、年収と幸福度の度合いはほぼ比例する、と言われる。
結局はお金、なんである。

収入がどうも5万円ぐらい増えるらしい、と、やはり現金なもので、あれが買いたい、これがしたい、と思うようになった。
今まで収入がものすごく少なかったので、なるべくモノは買わず、とりあえず今あるものをずっと使いまわす、ということにしていた。

ところがある時、街を歩いていてショーウィンドウに映る自分の姿をみて、あまりに貧相な身なりだったのに驚いてしまった。
正直に言えば、身なりに関しては、ほとんど構わなかった、と言っていい。
そして、自分の回りの人や街で歩いている人たちの身なりを改めて見てみた。

バイト先のダブルワークの人でさえ、高価なモノを身に着けているわけではないが、それなりに身なりにかまっている。
毎週土曜日にしか合わない彼女は、シングルマザーで、3人の子の母親で、この早朝のバイトの他に週に5日は1日8時間の清掃の仕事もしている。
街中の人たちを見ていても、やはりそれぞれの収入に合わせて、自分なりに身なりや持ち物を吟味しているのだ。

そう思うと現金なもので、あれを買おう、これも買い換えよう、と思うようになった。
収入の当てがあれば、やはりモノを買おうと思うのだ。
いくら正規労働者が増えた、大企業の内部留保の額が増え、大企業が増益だと言っても、一般の庶民は収入が増えなければモノは買わない。
イオンも無印も、ニトリIKEAも多くの商品を値下げしたのは、「政府が何を言っても、結局は脱デフレは嘘だと、企業は気がついたんですよ。」と経済評論家の荻原博子の談話がネットに載っていた。

昔OLをしていた頃、同じ会社のOLが体調が悪かったのか、「今日は休みたい」、とおばあちゃんに言うと、「そんなんで休んでどうする。貧乏人は気力だよ。」と言われたそうだ。

昔、みんな貧乏だったので、気力で貧乏を乗り切ることができたかもしれないが、今の貧乏は違う。
今の貧乏というのは、どうも底なし沼に足を突っ込んで、そのまま浮き上がれない気がする。

貧乏は体力、気力を奪う。
貧乏はすごいストレスになる。

都知事の舛添は、月収11万で子供が2人、まだ小さいので、昼食はカップラーメンだとテレビで言っていた。
それを見た都民ファーストの音喜多議員は、「カップ面など贅沢品!」「本当にコストをセーブできるのは米とパスタです。」などとツィートして炎上している。

自炊する時間があれば、コンビニ弁当やファストフードを食べて、余った時間は1時間でも眠りたい、というのが、ギリギリに生活している人の実感である。
少しでも節約したい、と思っても節約する時間も余裕もない。
節約する時間があるのは、余裕のある人達だ。

アベノミクスはやっぱり絵に描いた餅。
大失敗。