非正規労働者めぐろくみこのブログ

非正規労働者が日々感じていることを書いたログです。

働くということ

土日のスポーツジムの掃除のバイトに、日曜の早番に新しく男の人が入ってきた。
前の日曜早朝のバイトの男の人は50代前半で、平日は市場で働き、バイトの前はビジネスホテルの掃除のバイトをしていた。
最初は真面目に働いていたが、そのうち体がきつくなってきたのか、手を抜くようになり、一緒に働いている元大工の、みんなから棟梁と言われている男の人に何度か注意を受けるようになると、気に入らなくなったのか、バックレて辞めてしまった。
今度入ってきた男の人は40代半ばで平日は会社員で働き、土曜は他でバイトをしていると言う。
妻子持ちで、平日は普通に働いていても、休みもアルバイトで働かなければならないほど、今のサラリーマンは生活が苦しいのだろうか。
新しく入ってきたその人は、腋臭がひどい。
確かに体臭がキツイのかもしれないが、入浴やシャワーを浴びる時間さえないような、ギリギリの生活をしているのかもしれない。
仕事は男性と女性と、それぞれ持ち場は決まっているので、一緒にやる仕事はないが、何か意見すると、頑固に自分の考えを主張する。
さらに、物を頼む時に高圧的な言い方をする。
真面目だが融通のきかない人のようだ。
だから、あまりかかわらず、なるべく近づかないようにしている。
家庭的で優しそうなところと、気弱そうなところがあり、年末にクリスマスやお正月など、家族のイベントが増える季節に、経済的なことで奥さんからヒステリックに言われたりしていたのかもしれない。
見ている方が疲れてしまうようなくすんだ顔色と、へこんだ小さい目がさらに落ち窪み、体全体疲労感たっぷりで毎週日曜日にバイトに来る。

厚労省ブラック企業を調べたら全体の80%以上がブラック企業だったと言う。
POSSE代表の今野氏は「ブラック企業」という著者の中で、「ブラック企業の問題は、格差問題が、非正規雇用問題から、正社員を含む若者雇用全体の問題へと移行したことを示している」と書いている。
ブラック企業になるのは「進行成長産業」だと書かれているが、今残っている中小企業のほとんどはブラック企業と言っていい。
中小、弱小企業にずっと勤めていたが、今考えると、すべてブラック企業だった。
だから、そういった経営者の考え方がよくわかる。
ネットで中小企業のブラック企業の経営者の談話がのっていた。
それによると、人を雇う時は「真面目でおとなしく、責任感の強い人」を雇う。
就職難の時代だから、そこそこ優秀な人材がいて、雇って仕事ができなければ嫌がらせをして辞めさせてしまうか、仕事ができればどんどん仕事量を増やす。
就業規則が9時から5時までと決まっていても、真面目な社員は仕事が終わらないと残業をしたり、時には早出をしたり、休日出勤をしたりする。
もちろん残業代は払わないし、そうした就業時間以外でも働いていることを知っていても、何も言わない。
仕事はどんどん増えていき、これ以上働かせると体調をくずしたり、うつ病になるかもしれないと社長はわかっていても、何も言わない。
本人が休みたいと言えば休ませるし、休職したいと言えば休職させる。
そして、自主的に辞めさせるように仕向ける。
絶対に労災になったり、訴えられたりしないように考えている。
だからおとなしい人を選ぶのだ。
頭が良く、要領のいい人はそういう会社の体質や、社長の性格がわかるので、早々に見切りをつけて辞めていく。
しかし、なまじ真面目で責任感の強い人は、時に心身ともにやられてしまう。
今の社会情勢を考えれば、中小企業の社長は、会社を大きくしようとか、何か新しいことをやろうとか、そういうことを考えているわけではない。
何とか会社が回ればよく、社員を育てようとか、会社をよくしようとかは考えていない。
いや、それは経営者としては会社をよりよくしようとは思うだろうが、それがうまくいかないことは社長自身が一番よくわかっている。
だいいち、まともな社員は辞めていくし、残っている人たちは会社をよくしようと思うより、何とか首にならず、自己保身で自分の生活を守ることで頭がいっぱいである。
こんな会社なので、新卒は取らないか、取ってもうまく人を育てられないので、使えない、と思われた新卒は自分から辞めるように嫌がらせをする。
いや、そうではないな。最後に辞めた会社の元同僚に会ったら、新入社員が入ったが、使えないので、「辞めさせたらどうですか」と社長に言って辞めさせたといっていた。
中小企業はもっと簡単に昔から人を首にしていたんである。
その会社はブラックでも社長は割と情のある人ではあった。
しかし、私は長くいたので内情はほとんど知っていて、社長や経営者幹部が裏で何をやっていたかはよく知っていた。

嫌がらせをされて辞めた新卒の人たちは、その後心身ともに大きなダメージを受け、その後の人生に大きな影を落とすことになるかもしれない。
しかし、中小、弱小のブラック企業の経営者は、その首にされた人間の一生をダメにしてしまっていることなど頭にないに違いない。
ブラック企業」で著者今野氏は、ブラック企業で働き、その後のキャリア形成ができず、非正規労働者になってしまう若者が増えることは、社会全体の損失だと述べている。

私が1ヵ月ちょっとで辞めてしまったNPO法人は、そうした会社や学校でうまくいかなくなり、引きこもりになった人たちの社会復帰をサポートするNPO法人だった。
何かのボタンの掛け違いで、うまくいかなかっただけで、ごく普通の若者たちもいたが、一方では若干知能が遅れていたり、仕事の段取りを何回説明しても、その注意事項を守れなかったり、仕事の段取りを理解することができない人もいた。
社会性に乏しく、コミュニケーション能力に欠け、自閉的な性格のあらわれと言ってしまえばミもフタもないが。

今の若い人たちはみんなで一つの仕事をする、という習慣がないのだろうか、と思うことはよくあった。
一つの仕事をする時に上の人が段取りを組んで、下の人がその指示に従う、ということが今や一般の組織でも当たり前になっているんだろうか。
非正規労働者で働いた最後の職場でも、組織そのものが大きく、一つの事務所で100人ぐらいの職員がいた。
その事務所で委員を作っても、所長だとか課長クラスの中間管理職がお膳立てをして、下の20代、30代の職員に意見をさせたりしていた。
その上、議事録は中間管理職の課長が書いて、各課に回覧し、アンケート用紙などもあったが、ちゃんと読んでアンケートに答える人は約半分ぐらいだった。
ほとんどの職員が自分たちの職場に興味がないんである。
組織全体のまとまりに欠け、なんとなく漠然と働いている、という気持ちが強かった。
私が昔、正規社員で働いていた職場では、中間管理職ではないヒラの社員が委員になり、自分たちで資料をそろえたり、調べて、話し合ってまとめて、それを経営者幹部にお伺いを立てる、というのが普通だった。
しかし結局は予算がない、ということで、私たちの意見がすべて通ることはほとんどなかったが。
集団行動が嫌いで、協調性がない子どもだったが、社会に出て仕事をするようになって、人と協調して働く、ということを学んだように思う。
今は、「教室内カースト」という本もあるように、上位クラスのグループがクラス運営のイニシアチブを取って、それに先生も従う、というのが普通なのだろうか。
学校で協力しあって1つの仕事をする、という体験をせずに社会に出て働いても、自分たちの自主性を発揮することはなく、上の人たちのお膳立てにのっかるか、またはブラック企業などに入ってしまうと、ただただ、その会社側の言い分に従ってしまう。

高校を卒業しても、今の学校はちゃんとした就職先を紹介してもらえないので、コンビニなどでバイトをしている20代前後のフリーターが多いと聞いたことがある。
そこでいくら一生懸命仕事を覚えても、それは結局何のキャリアにもならない。
「金持ち父さん、貧乏父さん」のロバート・キヨサキ氏ではないが、そういったフランチャイズの仕事をして、オペレーションのシステムを覚えていくのならいいが、経営者でもない末端の労働者なら、何の意味もないではないか。

スーパーのレジ打ちで、20代の若者が入社し、一方の若者は空いた時間に窓ふきをしたり、段ボールを片づけたりしていたら、数年後は2階の洋服や日常用品の売り場の主任になった。
しかし、もう一人の若者は今だに同じレジ打ちをおもしろくなさそうにやっていると近所の主婦から聞いたことがある。
同じ職場でさえ、働き方で差がつく。
これでは西村賢太氏の「苦役列車」だが、主人公貫多は同僚がフォークリフトの下敷きになり、足の指を2本切断したのに恐れをなし、またキツイ労働の現場に逆戻りしたんである。

今の掃除のバイトは、休憩時間1時間と言われているが、仕事量がどんどん増えていき、実際は30分しか休憩できない。
しかし休憩時間としてバイト料は1時間分引かれているので、ある時社長に言うと、6時間勤務だと最低45分は休憩ということに労基法はなるので、それでは1時間の休憩を45分で計算しようと言う。
特に土日は忙しいので、私だけ特別、ということで、これは誰にも言わないように、と釘を刺されたのだった。
15分のバイト代に固執しているのではなく、社長に言った私だけがもらえる、ということに何となく違和感がする。
同じように月曜から木曜まで働いている主婦の人も30分しか休んでいないが、その人は何も言わないので、休憩時間として1時間差し引かれる。
結局、言ったもん勝ちである。
中小企業の経営者は確信犯だ。
労働者が何も言わなければ、経営者はわかっていてもなにもしない。

その上この社長は他のバイトの人のことも失礼なことを言ったりやったりする。
よっぽど本人に言ってやろうかと思うが、やられている本人はわかっていないらしい。
近所の主婦に言わせると、ちゃんとした会社に働いたことがないので、世の中のことがあまりわかっていないので、言われたことをなんでも鵜呑みにし、自分の意見を言うことができないんだと言う。
ルポ「虐待」を書いた杉山春氏は「今の若者は、自己肯定感がなく、大人から何か言われると何も言い返すことができない」と書いている。
社会や世の中のことがわからない、ということだろうか。

さらに杉山春氏は、「ルポ・虐待」で、今の若い人は自分がモノのように扱われても平気だと言う。
ほんとうにそうだろうか。
秋葉原無差別殺傷事件を起こした犯人は、朝ロッカーを開けると、作業服がなかったことが犯行の動機になっている。
鎌田慧氏のブログ http://nomorewar77.blog.fc2.com/blog-entry-1096.html
学校運営が「教室内カースト」のような場になっていて、一生懸命勉強して社会に出ても、社会性を身につけ、自己主張することができないと、その若者はどんどん社会から落ちこぼれてしまう。
社会が若者を育てようという気持ちがなく、非正規労働者は使い捨てにされ、ブラック企業に勤める正規労働者は使い潰しにされる世の中になってしまった。
私は学校を卒業して、初めて勤めた会社は一部上場の会社だったが、入社してすぐに「あなたは本が好きなので、これで好きな本を買ってきなさい」と、3万円渡された。
それは会社の福利厚生費から出たお金で、会社の本になったが、学校を出て、何もできない一般事務員にすぎない女子社員でさえ、もっと本を読みなさいとか、勉強をしなさいと言われた時代もあったのだ。