非正規労働者めぐろくみこのブログ

非正規労働者が日々感じていることを書いたログです。

うつの扉

S課長は最後の職場で非正規労働者として働いた時の直属の上司であった。
S課長の前任者は55歳で9月に早期退職したので、そのあとに横滑りにスライドして、同じ課の課長になったのだ。
S課長の前任者は、理由もなく怒鳴ることで有名だった。ある人に言わせると、同じ事をしても怒鳴られる人と、褒められる人がいたという。
その課長はなぜ怒鳴っていたかというと、単にその時面白くないことがあり、その人に非がなくても怒鳴ったり、その人物が気に入らないので怒鳴ったりしたそうだ。
大勢の人がいる職場の中で、怒鳴られた人の気持ちはどうだっただろうか。
その職場は毎朝朝礼当番というのがあり、毎日持ち回りでその当番が回ってくる。
朝の連絡事項の司会と、最後に一言話をするのが決まりになっていた。
怒鳴られたその人はずいぶんと悩み「自分の何が悪かったのか」眠れないことが多かったらしい。
その人は、怒鳴られた課長がいなくなってから、朝礼の当番になった時、最後の一言で「眠れない時が多かったが、引越しをして気分転換をしたらよく眠れるようになった」と語っていた。
その人は一言も怒鳴られたことは言わなかったが、その場に居合わせた人たちは、辞めた課長から怒鳴られたことがずいぶんと心に傷を与えたことに皆気がついていた。
私が最後に働いた職場は大きな組織で、階級が細かく分かれている。さらに雇用形態がそれぞれで、組織が新しくなってから採用された人たちが多くいた。
そういった人たちはずっとその組織で働いていた人たちより概ね優秀だったが、仕事に慣れるためにかなりの努力をし、心身ともに体調を崩す人も多かった。
S課長は組織が新しくなる前からずっとその組織にいた人だったが、課長試験を受け、合格して課長になったのだ。
前は、課長席には皆寄りつかなかったが、S課長になってから、課長のところで一言二言話をするようになっていた。
新しい課長になってから、この職場はうまく回っているのかと思っていた。
しかし、そのS課長は年が明けたぐらいから、あるいはもうずいぶん前から体調が悪かったらしい。
8月の中旬ごろ退職の旨を言いに行くと、S課長は退職の説明の後に自分の症状を話したのだった。
課長になる前から左耳の聴覚がおかしく、声が聞こえず、耳の奥で「ジージー」と音がして、左側の頭が重く、頭痛がしたという。
症状が顕著になったのは5月のGWあたりからか。
不調は左半身全体に広がったようで、遠目で見ても仕事をとてもこなす状態ではなくなった。
頭を左側に傾けて、左耳を左手でおさえる姿勢が多くなった。
体が左側に片寄って、固まっているような感じだった。
課長職になると外線電話は取らず、主に直通電話だけに出るようにはなるが、私が辞めた後はそれすらも出られなくなっていたという。
大きな組織だったから、産業医なども抱えていて、職員の心身の健康状態には常に配慮をしているところだったが、こうしたうつ病を発症する人たちが後をたたなかった。
その組織は非正規労働者の私でさえわかるような、職員の人権を踏みにじるようなことを平気でする不思議な組織だった。それが働いている人たちにもどこかでわかってしまうのだろうか。
そうした職場では何事も流す、ということが大事だということがわかった。
自分を追い詰めず、仕事もほどほどにやる、ということである。
その職場では自分たちの仕事に「情熱や愛情」を持っている人は皆無であった。
皆自分の保身で頭がいっぱいである。
だから組織や利用者のサービスがよくなることは絶対になく、利用者は誰もこの組織を信用もしなかったし、相手にもされていなかったが、あまりそういうことは皆、気にはとめていないようだった。
S課長は、仕事よりも通院を優先させ、よく休むようになった。
S課長の症状はうつ病になる一歩手前で、「適応障害」だった。
うつの扉のドアノブに手をかけたところで、その扉があけば、まっさかさまにうつになったという。
S課長は降格になり、4月の人事で他の事業所に異動になった。
ブラック企業が問題になっているが、日本という国自体がもしかしたら病んでいるのかもしれないと、最近思うようになった。