非正規労働者めぐろくみこのブログ

非正規労働者が日々感じていることを書いたログです。

(四) ユニクロ帝国の光と影

(二) 豊かさのあとにくるもの
柳井氏の父、等氏は宇部でやくざと組み、大物政治家や大企業のトップともつながり、土建業者として街の顔役となった。
柳井氏はこの「気性が激しく厳しい」父親を非常に恐れ、「なるべく顔を合わせない」ようにしていた。
「内気でおとなしい」柳井氏は父親のことをどう思っていたのだろうか。
「古いタイプの商売人」であり、「義理人情に厚く」「企業家とか経営者といった観点はなかった」という。
柳井氏親子を知っている人に言わせると、「一本気で筋を通すところが似ている」という。
ユニクロの前身、柳井氏が父から引き継ぐことになる小郡商事は、父、等氏が経営していた時は田舎の洋服店であり、一階は店舗で、二階は柳井氏家族と住み込みの店員が住んでいた。
昔の典型的な家族的な個人商店である。
柳井氏の父、等氏は人に対してヤクザにも通じるような情があったが、そういった父が「嫌で嫌でたまらなかった」柳井氏は、もっとドライに経営をしたかったのだろうか。
同じ経営者でも、父柳井氏にとって社員は使用人のような感覚だっただろうが、そこには情があったが、柳井氏にとってユニクロで働く人たちは、利益や売上を上げるための道具としか考えていなかったのか。

それが、筆者、横田増生氏の辛辣で手厳しい柳井氏の評価につながっている。
横田氏の柳井氏に対する評価を挙げてみる。

「自分の思い通りに商売をするのを邪魔するものは何であれ、蹴散らそうとする性格が透けて見える」
「柳井は何も責任を取っていない」
「柳井は言っているとことや書いていることと、その行動は必ずしも一致していない」
柳井氏の口癖は、
「泳げない奴は溺れればいい」
「足の遅い奴はおいてくよ」だという。

私がいた中小、弱小の個人商店のような会社の社長は、自分の思い通りに働かない社員や、成績の上がらない社員を執拗に叱責し、辞めさせるように仕向けたり、あるいは辞めさせることはよくあることだった。
これは柳井氏の行動とほとんど同じである。

ここまで柳井氏の批判を列挙してしまうと、柳井氏が非常に酷薄な人間に見えてしまうが、柳井氏がインタビューで言っているように「僕は人を育てるのが下手なのかもしれません」というところに案外本音が隠されているように思う。
柳井氏は、会社を経営する上で、社員を雇うとか、人のマネジメントの意味とか、人を育てる、ということがどういうことなのかがわかっていないのではないか。
人を育てると言うのは、雇い入れたその人間に対して一定の距離を置きながら、人間性や人格を尊重し、適性や性格を見極め、時間をかけて能力や個性を伸ばしていくことである。
自分の中に確固とした事業のイメージはあっても、人を雇うというイメージがないのは、家族的な経営しか見たことがなく、9カ月のジャスコの会社勤めでは社会経験というほどでもなく、会社というものがよくわかっていないことも原因になっているのだろうか。

横田氏の書き方はやや情緒的なところもあるが、裁判ではユニクロが敗訴になったことからも、かなり綿密に取材しているところは評価したい。
また、SPAという新しいビジネス・モデルの紹介、ZARAとの比較から、単なるユニクロという企業のキワモノ的な読み物にはなっていない。
それが著者の品性であり、知性であると思う。
しかし、せっかく柳井氏とのインタビューもしているのに、柳井氏という人物の人間性がもうひとつよくわからなかったのが残念。

ユニクロは、ブラックだと言われているので調べてみましたが、やっぱりブラックでした、というのがこの本のオチである。
しかし、そのブラックさ加減は今の日本の社会のゆがみそのものであり、それが一部上場の、日本を代表するほどに成長を遂げた会社の内情だった、ということに改めて驚かされる。

豊かになることが幸せになることだとまっすぐに信じられた時代は終わってしまった。
この「ユニクロ帝国の光と影」を読んで感じたのは、豊かさのあとに来るもの、それが何なのか、それを知りたい、ということだった。