非正規労働者めぐろくみこのブログ

非正規労働者が日々感じていることを書いたログです。

日本の労働者は奴隷なのか。

私が派遣されている清掃会社は大手ではなく、実績がないので直接契約の現場が少なく、清掃業界特有の下請け、孫請けなどの現場の方が多い。
こういう清掃の現場は直接請けた会社がだいぶ金額を抜くので、下請け、孫請けが会社の利益分を引くと、結局私のような末端労働者に回ってくる賃金は当然低くなるのである。

新しい物件の清掃の担当営業は、田中さんといって、40代の男性の営業部員だ。

田中さんは新しい現場の仕事内容や段取りなどの説明のため、初日から1週間ぐらいまでは研修と称して、ずっと付き添って仕事を教えてもらった。
清掃は朝6時半から10時までで、3時間半の労働だが、自宅近くになったといっても、朝は4時起きで、仕事が終わるとゼンマイが切れた人形のようになんだかぐったりとしてしまう。
早朝の清掃の仕事を終わってから、お昼にまたほかの現場に行く人が多いが、とてもそんなに仕事はできない。

田中さんは私の現場の仕事が終わると、トラブっている現場に行ったり、引き合いのある新しい現場に行ったりし、その後会社に帰って社内で残務整理や打ち合わせなどを行う。
やはり1日軽く10時間から12時間ぐらいは働いているようだ。
本人も「ブラックもブラック」と平気で言うが、内心ではどう思っているのだろう。
不満がないわけではないだろう。

週末になると疲れきった顔になり、さらに課長職で役職になっているので、残業代はつかないという。
残業代はつかないが、役職手当がつき、さらにボーナスはその分上乗せされてはいるだろう。
こういう下請けの清掃会社の正社員の賃金はどれぐらいなんだろう。

いつも作業服を着て、薄っぺらいペラペラのカバンに、ヘラヘラの靴を履いている。
長時間労働、長時間拘束で働いているが、それに見合うような報酬をもらっているようには見えない。
妻子がいて、自宅から会社まで1時間とか2時間近くかかるようなところに戸建てを買い、何十年のローンを組んでいるのだろうか。
正社員の人たちは、終身雇用と引き換えに、その席にしがみつき、ブラックであろうがそこで仕事をするしかない。
そして、ほとんどの社員は皆そうしたブラックな働き方をして、そこでそこそこみんな仲良く仕事をしているのだ。
電通の過労死自殺が話題になったが、月に残業100時間は別にそんなに珍しいことではないと思う。
特に中小企業はほとんどそうで、さらには残業代すら払わない会社、ボーナスも払わない会社、さらには社会保険にも加入していない会社、そういう中小企業はたくさんある。
私が働いていた中小企業のほとんどの会社は、残業代が出なかった。
特に最後に働いた小さいインテリア会社は、繁忙期は残業時間が軽く100時間は超えていただろうが、経営的に残業代を出せる余裕はなかった。

電通の企業風土は特殊だが、ほとんどの企業の社員は、正社員という身分を担保にして、会社に身を捧げ、ブラックであっても実は喜々として仕事をしているように思われる。
その企業風土に合わない人は結局辞めていったり、あるいはイジメの標的になった人は心身を壊していく。

日本の労働者は、奴隷のようだ。
奴隷のように身も心も会社に捧げないと、正社員の椅子から転げ落ちてしまうので、みんなその椅子にしがみつく。
政府が働き方改革をと言っているが、実は多くの社員は奴隷のように働かないと生活出来ないのがよくわかっている。
みんな表面的には不平不満を言わずに働いている。
だからブラック企業はなくならない。
それに大部分の人たちは過労死するわけではない。
政府の強制力によって残業や労働時間は改善されるだろうか。
内心では不満に思いながら、声を上げない妻子を養っている男の労働者が多いので、世の中は良くならないんだと私は思っている。

労働時間を単純に短くするなら、最初は人を増やすしかないと思う。
今まで2人でやっていた仕事を3人でこなせば、その分労働時間は短くなる。
しかしその分人件費は増えるだろう。
だから今まで働いていた人たちの賃金は下がるかもしれない。
今でさえ、労働に対して、あるいは子供の教育費、住宅ローン、老後の蓄え、親の介護の費用、月々の生活費を考えると、決して十分な給与とはいえないかもしれない。
自分の時間を削り、歯を食いしばっても今の収入は確保したいと考えているサラリーマンは多いだろう。
だから、給与が下がることに納得するとも思えない。
ましてや非正規労働者の時給を上げるために、自分の給与が下がることに納得できるだろうか。
こういうところで、労働者は経営者に付け込まれているんである。

そして、その次にやることは、労使やその職場の人達が話し合って、業務の見直しをして、仕事の効率化を図ることである。
これは、最後の会社でも何度も話題に上がったが、実現できなかった。
それを拒むのは、今まで仕事のやり方に固執し、新しい仕事のやり方を拒絶する男性社員が多かったからだ。

日本の労働者は労働時間が長い、と言われるが、そのわりには生産性が低い。
この国の労働者は自らすすんでラットレースをしている。
それが国力を衰退させている原因だということに、多くの労働者たちは気がついていない。

なぜ賃金は上がらないのか。

月曜から金曜まで行っていたオフィスビルの清掃の仕事は10月末で終了した。

実は8月ぐらいからこの仕事はそろそろやめようと思っていたのだ。
それで、登録していた派遣会社からオフィスワークの仕事の紹介がメールで来ていたので、エントリーしていた。
エントリーの仕方は、派遣会社から仕事の紹介のメールがきて、その仕事のURLにクリックすると、折り返し派遣会社から電話がかかってくる。
ところが、電話がかかってきてもブチブチと切れて、どうも電話がつながらなかった。
おかしいと思って調べてみると、どうも着信拒否の設定になっていたようだ。

どうしようかな、と思っているうちに9月になってしまった。
すると、9月中旬ごろに清掃会社の担当営業部員から、今のオフィスビルは持ち主が売ってしまい、ほかの持ち主になり、管理会社が変わるので、この物件の清掃は10月末までだという。
しかし、何とか清掃だけでも継続できないかと交渉していたが、やはりダメだったので、ほかを紹介しようという。
なんだ、そういう話なら、もっと早く言ってほしかった。
もうこの清掃の仕事がなくなるなら、こちらでもっと真剣にほかの仕事を探したのに。

仕方がないので、新しい物件の仕事に11月から行っている。
新しい物件の現場は、前のテナントビルより自宅から近く、そしてやはり大きなターミナル駅の近くにあるオフィスビルである。

こんな言い方をすると、実際に清掃の仕事をしている人や、清掃の仕事にプライドを持っている人たちには申し訳ないが、やはり清掃の仕事は嫌いだ。
この仕事をして、蕁麻疹が出たのは、やはりこの仕事が合わなかったからだろう。

ホリエモンが「なぜ賃金が上がらないかと言えば、みんなが嫌うような汚い仕事でも、安い賃金で一生懸命仕事をしてしまうからだ。」と言っていたが、そのとおりだと思う。
自分でも嫌になるぐらい、どんな仕事でも手を抜かずに一生懸命仕事をしてしまう。
どうせバイトなんだから、どうせ賃金が安いんだから、テキトーでいいや、と思うんだが、やりすぎてしまう。

ところが前のスポーツジムのバイトでも思ったが、ほかの人達は本当に手を抜くのがうまい。
あまりひどいのはやはりクビになったが、それでも清掃の引き継ぎで見て回ると、明らかに手を抜いて掃除をしていない箇所や、あまりに掃除の仕方が汚い人が多かった。
そんなに汚れていないから、掃除しなくてもいいや、と思っても、掃除しても変わらないからいいや、と思っても、掃除しているかしていないかが、一目見るとすぐわかる。
掃除しているところは、何となく空気が違うような気がする。

ほかの現場で、週に一回、土曜日だけ清掃の仕事をしているテナントビルで、テナントビル専従の正社員に採用されたアオラフォーの田岡さんは、結局入って3日目になんの連絡もなく来なくなった。

いろんなバイトや職場を転々としてきたが、嫌な職場や嫌な仕事はたくさんあった。
昔、そんなふうに連絡もなく休んだり、変な辞め方をしたことがあったかもしれない。

しかし、いくら嫌だな、と思っても、入って数日後に連絡もなく行かなくなる、ということは今はできない。
掃除のバイトでも、現場は1人現場だったり、二人だったりしても、その持ち場の仕事はほかに替えの人がいないので、行かないと清掃の人間を派遣している清掃会社は困るのだ。

安い賃金だからこの仕事はしない、とみんなが決めて、ある日突然非正規労働者がみんな仕事に来なくなる、ということになれば、賃金は上がるだろうか。

清掃の仕事は2つも3つも掛け持ちして働いて、それでやっと暮らしている人が多い。
安い賃金で、くるくるくるくる人が回っているだけ。

どうしたら賃金は上がるだろうか。

アベノミクスはやっぱりおかしい。

雀の涙ほどの収入でさえ、国や政府にかすめ盗られている。

毎週土曜日だけ行っているテナントビルの清掃に、新しい清掃の男の人が来た。
男性の矢代さんが責任者だが、新しく来た田岡さんもそのテナントビルの常勤の清掃員になるそうだ。
矢代さんが休んだ時は田岡さんが代わりになる。
小柄ではないがそんなに背は高くなく痩せている。
パッと見は若そうだが、笑うと目尻にしわが寄り、歯がボロボロで、昔シンナーをやっていた人のような歯並びである。
30半ばか40前後かもしれない。
話を聞いてみると、前職も清掃で責任者だったが、勤務時間がめちゃくちゃなので、体力的にキツく、辞めてしまったという。
今は清掃の仕事の募集は男でも多い。
男の清掃の募集は正社員であることが多く、さらに責任者募集になるようだ。
責任者といえば聞こえはいいが、結局のところ1日10時間以上勤務の完全なブラックである。
その上夜勤や早出、中番など、シフトがいろいろである。
田岡さんはこのテナントビルの募集以外にも清掃の会社を受けたが、そこでは責任者になって欲しいと言われたので断ったそうだ。
30代の男ならブラック企業でも正社員の募集はあるのか、と関心して聞いていた。
矢代さんや田岡さんは現場勤務なので、基本的には週休2日制で一日の労働時間は8時間と決まっている。

ブラックバイトが話題になっているが、さすが社会人、年を取ってくると、ブラック企業は選ばなくなるんだな、と妙に感心して聞いていた。

ところが本社勤務の営業の人達は毎日12時間労働である。
清掃の現場は大体6時半ぐらいから始まるので、現場に顔を出したり、あるいは担当の現場の清掃員が休みだと、営業が来て清掃したりする。
現場が終わって本社に顔をだし、事務や連絡業務を行って営業周りに行くと、戻りは夕方である。
その後事務処理などをしていれば結局退社時間が6時7時になるので、気がつくと12時間労働していたことになる。
一般の営業職で、朝9時から夜9時まで残業、というのはよくある話だと言われてしまう。
100時間は多い方だが、80時間ぐらいなら普通で、勤務時間がある程度固定化されていれば体は楽だろうという。
ただ、清掃や外食、コンビニや警備の仕事のように24時間体制でシフトが朝、昼、夕方、深夜勤と勤務時間がいろいろになると体が持たないという。
矢代さんも田岡さんもそういう働き方はごめんで、さらに収入もほどほどでいい。
矢代さんは政治にも興味がなく、新聞もほとんど読まず、テレビもニュース番組は見ない。
もちろん選挙に一度も行ったことがなく、今のほどほどの生活に満足している。
ガツガツ働かず、仕事より週2日の休みに近場の温泉へ日帰りか1泊の旅行にいくのが楽しみである。
だから将来もらえる年金が目減りしていることに気がつかない。
そのうち矢代さんの息子が徴兵で取られる時代がくるかもしれない。
ほどほど生活できていれば、政治になど興味がなくても世の中回っていると思っている。
しかし、もう火のまわりが足元まで来ている。

サラリーマンの人達は、自分の身が安泰ならば一日80時間や100時間の残業時間でも平気でいられるんだろうか。
企業と個人で社会保障費は折半だが、目減りする年金に不安を感じないんだろうか。

私は最近では雀の涙ほどの非正規労働者の収入でさえ、国や政府に税金をかすめ盗られているように感じられてならない。

努力しても報われない社会

堀江貴文が「日本人はみんなが嫌がるような仕事でも安い賃金で一生懸命仕事をしてしまうので、賃金が上がらない」とツィートしていた。
さらに、他の人のツィートで、過労死が減らず、賃金が上がらないのは、日本人が真面目で勤勉すぎるからで、「こんな仕事やってられるか」とか、「賃金を上げろ」とストやデモをせず、声を上げないのが原因だ、という。

電通の新入社員の女性が過労死した記事がニュースに出ていた。
東大を出て、電通に入社し、インターネット広告の仕事をしていたという。
残業は月に100時間を超え、上司からは「女子力が足りない」「充血した目で会社に来るな」と言われ、1日の睡眠時間が2時間、土日出勤も当たり前だったという。

電通は最近ネットによる不正請求が問題になった。
広告料の過剰請求や実績レポートの虚偽報告などを行っていたとし、こうした不正が疑われる取引は広告主111社にのぼる633件。取引総額は約2億3000万円。
さらに広告掲載していないのに請求を行っていた取引は14件、約320万円あったという。

上記の自殺した女性のいた部署がその部署だったらしい。
今までのマスメディア4媒体、新聞、テレビ、ラジオ、雑誌に代わり、ネットの普及とともにネット広告費は2015年で1兆1594億円。
5年前と比べて49.6%増えている。
テレビ離れ、雑誌、新聞の売上が大きく落としていることから、広告はネット広告に移行している。

しかし、ネット広告はまだまだ新しい広告で、実は広告立案がむずかしい。
ネット広告の専門の代理店がいて、それなりのノウハウがあり、毎日パソコンに貼り付いてデータを取っていく。
電通がそのノウハウを持っていたとは思われない。

ネット広告はかなり特殊で、広告効果はすべて数値化される。
トヨタがネット広告をしても広告効果がない、と最初に気がついたそうだが、あまり効果がないことが電通側でわかり、データを改竄して広告主に提出させていたのかもしれない。
だからネットの不正請求が問題になったのだろう。

それを入社1年の新入社員に担当クライアントをつけてやらせていても、とてもできないだろう。
通常の営業活動の他にも飲み会の幹事や雑務もやらされていたので、睡眠時間もほとんどなかった。

この女性の過労死自殺について、大学の教授が「月100時間超えで自殺は情けない」とツィートされたが、これがまたまたネット上で炎上し、この大学ではこの教授の処分が検討されているらしい。
確かに、月100時間残業しても死なない人はたくさんいる。
しかし、100時間が残業時間のボーダーラインで、100時間を超えると心身ともに支障をきたし、それが長期化すると、やはり身体的に大きな問題になる。

私は彼女が残したツィートを幾つか読んだが、そこには労働に対する楽しさや喜び、というものは全く感じられなかった。
そこにあるのは自分を犠牲にして会社に奴隷のように奉仕している姿で、それが非常な苦痛でしかなかったことである。
さらに、それに追い打ちをかけるような上司のセクハラ、パラハラによる屈辱的な言葉の数々。


昔、私が営業をしていた頃、思い出してみると上司から相当ひどいことを言われていた。
それは私自身の言動に問題があり、常識を欠いていたからで、私自身に問題があったと思う。
そして、私はその頃他人に興味がなかったので、何を言われてもあまりこたえていなかったような気がする。
それでもかなりひどいことを言われていたようで、当時上司から
「そういうこと言われて、よく平気でいられるな」
と逆に関心されたりしていた。

多分「女子力がない」と言われても
「はい、そうですか」
と流していたか、
「女子力なくて、いけないんですか」
ぐらいは言っていたような気がする。
その頃は女子力なんて言葉はなかったが、よく
「もっと女を利用してうまくやるんだよ」と男の上司や同僚から言われていたのを覚えている。

社長に挨拶なく先に帰った、と言ってある中小企業の社長が激怒し、クビになったことがあった。
辞める時、その時の経理の課長が、「僕は君のことを本当は買っていたんだよ」と言われた。
でも、辞める時に言われても、もう遅いんだけど。

上司から「女子力がない」と言われても、
「私、女子力がなくて」と開き直るか、
「女子力がなくていけないんですか」と言うか、
いやいや
「女子力がなくて、何か?」
と言えればよかったのか。

電通は募集の半分が縁故なので、入社はかなり狭き門である。
ある人のブログを読んでいたら、電通に入った人たちは辞めたら負け、という気持ちが強いという。
仕事は激務で、クライアントによっては女性のパワハラ、セクハラがひどいが、上司や先輩がかばってくれるので、何とか頑張れるのだという。
会社を辞めて独立したり、成功した人は一握リしかいないので、そういう人以外で辞めて行った人たちは負けたのだ、と残っている人たちは思っている。
東大に入るには1日10時間ぐらい勉強したはずで、さらに狭き門の電通に入ったとしたら、その女性には成功体験しかなく、辞める、という選択肢はなかったのか。
会社を辞めて、一度人生から降りる、という気持ちがあれば、自殺しなくて済んだのに、と思う。

今の若い人たちは気の毒だ思う。
仕事が苦役、苦痛でしかなく、なんのために働いているかがわからない。

エリートと言われる人たちは、成功体験が忘れられないので、人生から降りることができず、一つつまずくと自死してしまう。
さもなければ、一度降りてしまうとその後どう生きて行ったらいいのかがわからなくなる。

また、今までの労働市場の枠組みだけが残っているので、その枠組に入れない若者たちはきちんとした会社に入れず、ブラック企業にしか入社できない。
ブラック企業は社員全員がブラックなまま働かされるのではなく、若者だけがブラックな働き方を強制されたりする。
ブラック企業に入れないか辞めた人たちは、一生非正規労働者として働かざるをえない。
今の社会は失敗してもやり直しができない社会だ。

社会そのものが歪んでいるが、その割を食っているのが若い人たちだ。
世の中、50代、60代のオヤジたちにしてやられているが、若い人たちは社会や世の中の常識や枠組みを素直に信じ、やすやすと組み込まれてしまっている。

少し前、オレオレ詐欺について書かれた「老人喰い」という鈴木大介の本を読んだが、最後に「オレオレ詐欺は絶対になくならない」と書いてあったのが印象的だった。
オレオレ詐欺」は老人の孤独と若者たちの社会に対する怨嗟、これがなくならない限り絶対になくならない構図になっている。
そして、最後に書かれた一節に、今の社会は努力しても報われない社会、という言葉があって、この言葉にひどくショックを受けた。

ふがいない僕は空を見た 窪美澄

窪美澄の代表作は2009年の「ミクマリ」で、女による女のためのR-18文学賞の大賞を受賞し、注目をあびた。

この「ふがいない僕は空を見た」は、この「ミクマリ」から4つの連作からなる短編集だ。

私はこの小説を2回読んでみた。

2回読んでみると、最初はストーリーのおもしろさ、読みやすさに目がいくが、本当はこの小説はもっと深いものを書いているのではないかと思った。

最初の短編「ミクマリ」は、高1の斉藤くんがたまたま行ったコミケで年上の主婦と出会い、不倫をし、そして別れるまでが描かれている。

「世界ヲ覆フ蜘蛛ノ糸」は、斉藤くんの不倫相手である専業主婦の里美の結婚生活が描かれている。
里美は夫と二人でマンションに住んでいる。
親子密着型の姑と夫の間で、姑は早く子供を産めと強要する。
子供を望んでいないのに、それを口に出して言えない夫。
幸福とは言えない結婚生活の中で、やがて里美と斉藤くんの不倫がバレてしまう。

2035年のオーガズム」は、斉藤くんのことが好きなクラスメイト、七菜の家族の物語。
七菜の家族は、父が無理して建てた戸建てに住み、単身赴任のサラリーマンの父と更年期障害に苦しむ専業主婦の母、そしてT大を現役で合格した兄と4人家族の物語だ。

セイタカアワダチソウの空」は、斉藤くんのクラスメイト、「セイタカ」とあだ名される団地に住む高1男子の物語である。
そして、この短編集の中で、一番印象に残った。
この小説についてちょっと説明したい。

セイタカの父親は借金苦でこの地元の沼で首吊り自殺をした。
母親は近くのアパートに男と住み、セイタカは団地で死んだ父親の母親、ばあちゃんと住んでいる。

母親はネグレストで、セイタカはほとんどばあちゃんに育てられたのだ。
生活費は、ばあちゃんの年金、母親がたまに持ってくる数万円、そしてセイタカのバイト代である。
バイトは、朝の新聞配達、夜のコンビニのバイトで、その間に学校に通っている。
団地は「貧困とか、生保とか、アルコール依存症とか、幼児虐待とか、自己破産とか自殺、一家心中が日常生活の中でひんぱんに起こる場所」なのである。
団地の住民たちは、片親家庭であったり、独居老人であったり、または両親が揃っている家族であっても、その家族という入れ物はすでに壊れている。
団地の子供たちがコンビニなどで常習的に万引きを行う様子が描かれている。

セイタカはコンビニのバイト先で、元予備校教師の田岡さんに勉強を教えてもらうようになる。
セイタカの通っている地元の高校はまわりから「バカ三高」と呼ばれる落ちこぼれの行く高校なので、勉強がわからない生徒たちは授業中もほとんど寝ているような学校だ。

コンビニの休憩時間に中学からの復習プリントを毎日やり続けていくうちに、成績がうなぎ登りに上がり、セイタカは学期末試験で学年四位になった。

コンビニのバイト先には、同じ団地に住むクラスメイトで幼馴染のあくつという女子高生がいた。
ある時、田岡がセイタカとあくつを誘い、「貧困層のための塾を作りたいので協力してほしい」という。
田岡は金持ちの子どもたちが通う予備校で、多くの生徒たちをいい学校に入学させた実績と人気のある予備校講師だったが、事情があって講師を辞めたのだ。
あくつは最初田岡を警戒し、よく思っていなかったが、田岡の要求をあっさり受け入れてセイタカと一緒に勉強するようになる。

一方、セイタカの家のばあちゃんの認知症が進み、旺盛な食欲でセイタカの食べる分のごはんまで食べたり、徘徊をするようになる。
ある日、米びつの中に入っていたセイタカの預金通帳や現金、そして米びつの米までが突然なくなっていた。
母親の住んでいたアパートに行くと、どこかに引っ越してしまった後だった。

お米もお金もなくなったセイタカは、頼れる大人が誰もおらず、一体どうしたらいいのか途方にくれる。
ばあちゃんのボケはさらに進み、バイトの途中でばあちゃんが行方不明になった。
深夜のばあちゃんの失踪のためにあくつや同級生の助けを借り、やっと河原の先の野球場で見つける。
バイトを途中で抜け出したセイタカを心配した田岡が、セイタカたちを車で迎えに来た。
田岡はばあちゃんを知り合いの医者のいる市民病院につれていく。
セイタカはなぜ田岡が自分のためにこんなに良くしてくれるのかがわからなかった。

しかし、田岡はセイタカの前から突然姿を消してしまう。

そして最後に、セイタカは坂道の途中から街を見下ろし、「死ぬほど勉強して、みんなが驚くような大学に入って、この街を出ていこう」と決心して終わる。

私はこの小説を政治家の人たちに読んでほしいと思う。
ここに描かれている家庭は日本では特殊な家庭ではない。
これが今日本の貧困層の家庭だとわかってほしい。

日本の子供の貧困は6人に1人、といわれている。
こども食堂が一部で話題になっているが、実は小、中、高校生で、十分な食事を与えられていない子供たちが多い。
この小説でもセイタカがお金がなくなって、ご飯だけを炊き、お湯に味噌をといただけの食事を作る場面が出てくる。
絶対的貧困は分かり易いが、問題は外から見えにくく、本人たちも声を上げない相対的貧困が問題なのである。
15歳はまだ子供だ。
そしてまだ親や回りの大人たちの庇護の下でなければ生きていくことはできない。
しかし、セイタカのように親から捨てられた子供は、一体誰に相談すればいいのだろうか。


最後の短編「花粉・受粉」だけ、高校生の視点ではなく斉藤くんの母親の視点で、シングルマザーとして子供を育てる母親の葛藤が描かれている。

この小説に描かれる4つの家族は、今日本の社会が抱えている問題を表している。

里美と夫はマンションに住む子なし夫婦。
そして七菜の家は単身赴任の父と専業主婦の母、引きこもりのT大生の兄の4人家族で戸建てに住んでいる。
セイタカは貧困層が住む公団住宅にばあちゃんと住んでいる。
そして最後に出てくる斉藤くんの家庭はシングルマザーである助産婦で職住一致である。

里美は姑から早く子供を産め、と強要され、姑の女は子を産むもの、という旧来の価値観に、現代の女たちも蜘蛛の糸のように絡めとられてしまう。
ここには男女役割分担による家父長制度が、姑の力によって発揮される。
姑がこの夫婦を支配する家長なのである。

七菜の家庭は一般的なサラリーマン家庭である。
七菜の兄は、T大に現役で入学したが、燃え尽き症候群で大学入学後新興宗教にハマり、その後引きこもりになってしまう。
七菜は小さい頃から「七菜は可愛いからいいのよ」と言って育てられた。
言い換えれば、男に選ばれる可愛い女がよい、という考えを持った両親に育てられた。
七菜は斉藤くんのことが好きだったが、斉藤くんは母親の苦労や社会が少しわかっているので、七菜のような女の子では物足りず、だから人妻である里美に惹かれたのだろうか。

里美や七菜の家庭は、親や姑の努力によって、何とか家族の形を保っている。
しかしこれらの家庭はやはり問題があり、いびつには違いない。
その一方、セイタカの住む団地では、すでに家族という枠組みは壊れている。
団地の住民たちは片親世帯であったり、家族という形があっても親のネグレストや虐待が日常的に行われ、家族としてはすでに機能していない。

最後の短編「花粉・受粉」は、斉藤くんの両親の物語だ。
斉藤くんの母親は自由気ままに生きている夫を最初は面白がっていたのに、いざ結婚して子供ができてみると、定職につくことができず、妻子を養うことができない。
そんな夫をを強く責め、夫婦喧嘩が絶えず、最後に父親は家を出て行く。
夫が風のうわさで生活が苦しいと聞くと、金銭的な援助をしてしまうが、これで最後にしてほしいと言う。
父親は、自分のダメさ加減がわかっているので、家を出ていってから、子供に会うことができない。
ここでは今までの家父長制度の父親と母親という役割から降りることができない夫婦の破局が描かれている。

この小説に出てくる男たちは、自殺による父親の喪失、あるいは単身赴任による父親の不在、妻子を養うことができない父親失格の男、そして父親になりたくない男、父親になれない男が出てくる。
結局この小説に出てくる男たちは存在感がないか、どうしようもない男たちなのである。
この小説の題名は「ふがいない僕は空を見た」というが、不甲斐ないのは斉藤くんやセイタカだろうか。
家族に負担を強いる単身赴任や里美の夫のように奴隷のように働かされても会社に文句ひとつ言えない日本の男たちではないか。

窪美澄のテーマは「生と性」である、と言われるが、この小説の一つのキーワードは「生殖」である。
斉藤くんの家が助産院であり、最後の短編では出産のために訪れる女たちや出産など、助産院の様子が丹念に描かれる。
窪美澄の描く性は快楽や金銭を媒介とした商品としての性ではなく、その底にあるものは「愛」である。

旧来からの家族制度はとうの昔に崩壊し、家族の形は壊れている。
しかし、それがわからない。
かつての家父長制度の幻想をいまだに持っている人たちは、女性の生き方を固定化し、鋳型にはめ込もうとする。
そして、そのために多くの女たちが苦しんでいる。
シングルマザーとして斉藤くんを育てている斉藤くんの母親もそうだろう。
しかし、そのしわ寄せが子どもたちにいっているとしたら、この国に未来はないのではないか。

社会は思っているよりずっと早い速度で変わっている。
今まで信じていたもの、大切だと思っていたものがいつの間にか切り捨てられたり踏みにじられたりする。
それは愛であるとか、信頼であるとか、人と人との結びつき、思いやりであるかもしれない。
この小説を読むと、人が生きていくことで喪っていくことの切なさや悲しみがじんわりと伝わってくる。

そして、今この空の下で生きている子どもたちが、どうか幸せに生きていく事のできる国でありますように、と祈らずにはいられなかった。

会社を辞めるということ。

相変わらず掃除のバイトをしているが、それが本業ではなくて、本当は起業しているんである。

しかし、全然儲からないのでバイトをやめられないわけで。
その起業した仕事もいまだに細々と続けている。
一体この生活がいつまで続くのか、もう辞めてしまおうか、続けた方がいいのかと葛藤している毎日。
生活できる収入には程遠いが、少しずつ実績が上がっているのも事実。
それでもあまりの収入の低さに、心折れることの方が多い。

仕事は個人でやってはいるが、自分でできないところは外注している。
外注先はフリーでやっている個人で、この外注の人がコロコロ変わる。
金額を理由に辞めていく人や、忙しくなって、とやんわりと断られたりする。
要するに、私のようにたらたら個人で仕事をしている人と付き合ってもメリットがない、とたぶん向こうから見限られているのだろう。

今頼んでいる外注の女の人もそうで、これから仕事が忙しくなるので、もう仕事は受けられない、とメールが来た。

今は女性でもほとんど男性と同じ仕事をする人が多く、外注の仕事は男性も女性もいた。
仕事は男だから、女だから、ということはなく、専門の仕事だから男女差は全くない。
しかし女性の方が神経がずぶとく、気が強い人が多かった。
最近東京都都知事になった小池百合子などはその典型で、姿は女だが、中身は男よりも男らしいんである。

とにかく、やることが雑で、ガサツな人だった。
そして、人の話をよく聞かない。
また、細かいところでよくミスがあったり、よく確認せずにどんどん自分で仕事を進めてしまう。
これでよく仕事ができているな、という感じだった。
基本的なスキルは確かにあることはあるんだけど。
そして、そのミスを指摘しても、あんまり謝らないんである。
仕事のメールをしても、連絡がきちんと返ってこない。
普通はわかりました、とか確認のメールぐらいするものなんだけど。

彼女はなんで仕事の断りのメールを寄こしたのか。
やっぱりお互い気が合わなかった、ということか。
何回か仕事でやり取りしたが、なんとなくちぐはぐでうまく意思の疎通が取れていなかった。
彼女のメールの返事にちょっとカチンとしたこともあり、そうしたことにちょっと意地の悪い言い方をしたこともあった。
それが彼女の気に障ったのか。
やっぱり彼女と私は気が合わなかったのだ。

長い間、会社勤めをしていたので、よく上司から仕事の依頼を受けた。
考えてみると、私も彼女のように細かいところでよくミスをし、人の話をよく聞かず、自分でどんどん仕事をしてしまったことも多かった。
そう、彼女の仕事の仕方はかつての私と全く同じかもしれない。

最後にいた小さい会社は、社長が高齢でパソコンの操作に疎かったので、よく原稿をパソコン打ちさせられた。
本人は間違いのないように見直していたつもりだが、いつもどこかしらタイプミスがあった。
長い間一般事務職の仕事をしていたが、私はこういう細かい仕事が苦手なんである。

今、起業して、人に仕事を依頼する、ということがどういうことなのかわかる。
そして、仕事を依頼して出来上がった仕事は、極端に言うとその仕事をした人の人間性がすべて出ている。
雑な人は雑な仕事をするし、几帳面な人は几帳面に仕事を仕上げてくる。
能力的なものもあるだろうが、実はその人のした仕事は能弁にその人の性格や人格があらわれている。

そして、いつも人に使われている人の気持ち、というのもわかるようになった。
よく労使関係は同等である、というが、そんなことはない。
やはり仕事を依頼する側と仕事を請ける側では、気持ちの上で違う。
仕事を発注する側は、やはり心の中で何か余裕のようなものがあり、精神的に優位に立っている気がする。
そして、依頼を受ける側は、その依頼主のそうした気持ちを敏感に感じている。
依頼主によってはそうした感情を態度や言葉で露骨に表す人がいたり、逆にそうした気持ちを隠していても、その気持ちはやはり労働者側には伝わるんである。
労働者は、結局法律的に労働者の立場が保障されているとは言え、人に使われているという屈辱感を日常感じている。
人によって、働いている環境によっては、これはかなりの苦痛であり、屈辱的なことだと思う。

大きな組織になると、そうした直接的な労使関係はそんなに感じないかもしれないが、その代わり組織の中の役職とか上司とか、厳然とした上下関係があって、それが人によっては屈辱的に思うことがあるだろう。
組織というか、会社というのはそうした嫉妬や妬み、ヒガミの感情が渦巻いているところだ。

非正規労働者で常に感じていた不快感というのは、そうした組織の正規労働者との待遇の落差をあからさまに常に感じさせる組織だったからだ。
これは私が過剰に反応していたからだろうか。
いや、多くの非正規労働者が日常感じている感情だろう。

では、その組織の不快感をどうしたらいいか、といえば、結局は我慢するか辞めるしかない。

非正規労働者がいつも考えている不満や不快感もあるだろうが、正社員で働いていた会社でも社員が強い不満を持っている人も多いだろう。
それでも今は多くの正社員はその職場にしがみつき、我慢していることが多いと思う。

私は正社員で働いた期間の方が長かったが、転職も多かった。
バイトもいろいろやった。
そして、今考えると、簡単にやめていた。
引っ越すとか、何かどうしても辞めなければいけない理由よりも、その職場や仕事が合わないとか気に入らない、などの理由で簡単に辞めて来た。

私が働いていた会社は、小さい会社や個人でやっているような会社で、待遇が悪かったり、経営者や会社の体質が古かったり、ちょっと癖のある人がいたりした。
だからなのか、社員も会社に不満を持っている人が多く、人の出入りも激しく、しょっちゅう人が辞めていたのだ。
そして、そういう会社の経営者はバイトや社員が辞める、と言ってもなんの痛痒も感じないように見えた。
簡単に辞めていく社員を経営者は、「あ、そう。」というような態度でよほどのことがない限り引き留めることはなかった。
日常辞めていく人たちに対するそういう経営者の態度を、残った社員である私たちは「冷たい」とか「人を人と思っていない。」とか「結局人を利用しているに過ぎない」とかさんざん悪口を言っていた。
経営者は社員なんて、どうでもいいと思っていたのだろうか。

前いた小さい会社は、社長のワンマン会社だったが、社長のミスで多額の負債を抱えていた。
毎月の資金繰りが厳しく、月末になると銀行筋に融資のお願いをしたり、仕入れ業者に支払いを待ってもらったりしていた。
そういうことが小さいフロアで全部丸見えだったので、私達社員はこの会社に対して不安を持っていた。
社長が売上や資金繰りであからさまに機嫌が悪くなるのが手に取るようにわかり、雰囲気は最悪で、新しく入った社員はどんどん辞めていった。
社長は表面ではなんでもないように振舞っていただろうが、今思うとやはり社長はこたえていただろうと思う。

結婚して子供がまだ小さく、それでも働き続けていた彼女にとっては、自分のライフスタイルや仕事のやり方に合わない人や仕事は切っていく合理的な人だったんだろう。
依頼する側の方が結局は立場が強い。
だから仕事をしてもらう人に対してねぎらいの言葉や感謝の言葉をいつも言わないといけなかったのだ。
そして、仕事をしてもらう人の能力や性格をよくよく考えて、言葉を選んで発注しないと、思ったとおりの仕事の仕上がりにならない。

起業してみて、初めて社会や世の中を俯瞰してみることができるようになったのかもしれない。

今の清掃の仕事は私には合わない。
それはこの清掃の仕事についてから、蕁麻疹が出たことからもわかる。

このテナントビルは10月末に新しい所有者に代わるそうだ。
そうすると管理会社が変わるので、この清掃の仕事は終了になる。

仕事は清掃の仕事でなくても、探せばまだあるだろう。
いつまでもバイトで食いつないでいても意味がない。
人はどんどん辞めていっても、自分でどうやって仕事を回していくか、私が辞めていった経営者たちはいつも考えていたんである。

辞めた理由

土曜日に週一で通っているテナントビルの清掃のバイトに、たしか5月頃新入社員が入ったと書いたが、やはり辞めてしまったそうだ。
22歳の青年というより、少年というような男の子だった。
色が白く小柄で痩せていて、作業服を腰パンで履いているので、パンツがズルズルしてだらしがなかった。

いつも顔を下に向いて、スマホをいじっているか、人の話を聞いて一人でニヤニヤしているような子だった。

仕事が一緒になることはあまりなかったが、他の人と気楽に世間話をする、ということはなく、私とはほとんど話をしたことはなかった。
前にスポーツジムの清掃のバイトをしていた時は、引きこもりだったがなんとかバイトを見つけました、とかずっと非正規労働者でいろんな現場を転々としてきました、というような人が多かった。
というより、ダブルワーク以外の人はほとんどそういう人たちで、そして、そういう人は余計なことは言わないが、肝心のことも言えない、という人が多かった。
きちんと人の目を見て話ができない、とか挨拶ができないのは当たり前で、質問をしても返事に時間がかかったり、返事が返ってきても何が言いたいのかわからず、会話にならないことも多かった。
さらに、仕事の段取りを説明したり、仕事を頼んでも、はいはいと返事はいいが、頼んだ仕事をしていなかったり、そのことを指摘しても平気で嘘をついたりごまかしたりすることが多かった。
なんでそういうことができるのか、私には謎だったが、最後はもう相手にするのはやめることにしたのだった。
特に男にはそういう人が多く、そして今頃の人というのはこんなものかと思っていた。

矢代さんという現場責任者の話では、4月に正社員として入社してから休みを何回か繰り返していたらしい
数日出社すると、その後休みが続く。
その連絡も、当日の朝6時ぐらいだったものが、朝7時になり、最後は無断欠勤、ということになったらしい。
何回か注意もされたらしいが、注意された翌日は必ず休む、ということだった。
最後は本社の営業部長が話をして、注意をしたり、続けるように話をして、その場では「わかりました」というようなことを言ったらしいが、その日の夜だったか、翌日に親から辞めさせて欲しいと電話があったという。
辞める時ぐらい自分で電話して言えないのだろうか。
最近、芸能界で有名女優の息子が不祥事を起こし、マスコミでその親の過保護が大きな話題になり、バッシングを受けていたが、本当に今の子供は過保護なんだろう。

矢代さんは、彼の事になると手厳しく、
「何回も休みを繰り返したので、最後は誰からも相手にされなくなり、自分で居場所をなくしたんだよ。」とか、
「プレッシャーに弱いので、仕事が続けられなかった。」とか、
「甘やかされて育ったので、あれじゃどこへ行っても続かない。」
とか言っている。

言っていることは正しいかもしれないが、もうちょっと言い方はあるだろうと思って聞いている。
現場の上司だったんだからもうちょっと面倒を見てやってもいいのではなかったかと思うし、そもそも矢代さんはこの青年には全然注意もしなかった。
矢代さんは私のようなおばさんには注意はできるが、男の人にはバイトの人でも注意できないんである。

矢代さんは長く働いているバイトのおばちゃんやバイトの男の人からもほとんど相手にされていない。
それは人に対する思いやりとか、包容力とか、感謝の気持ちが人の上に立つ人として、全くないからだ。
だから長くいる人達は矢代さんを軽んじるような言動をして、それで矢代さんがキレて、他のバイトに当たることがたまにあった。
本社の営業部長がたまに「矢代はああいう人間で」というようなことを言っていたが、私はその話題にはなるべく触れないようにしていた。
バイトなので、余計なことを言ってはいけない

話がそれたが、辞めた理由は本当は何なのだろう。
矢代さんに言わせると、プレッシャーに弱い、ということらしい。
聞くと、入ってしばらくは研修で矢代さんが一緒に仕事をしていたが、数カ月後には現場の責任者で一人だちしてあのテナントビルの仕事を任せられたらしい。
しかし、あの現場は保安も警備も清掃も全部同じ会社が担当しているし、清掃の仕事は彼以外はアルバイトだが全員慣れている人たちばかりなので、仕事は特別問題はない。
問題なのは彼だけが作業が遅く、他の人が全員11時前には作業を終えているのに、彼だけがゴミの仕分けとか仕事が終わっていなかったらしい。

他の人達は仕事が早く、段取りもわかっているのもあるが、7時始まりの仕事でも10分とか15分前、あるいは矢代さんのように30分前には来て仕事をしている。
ところが彼はいつも7時ギリギリに来て、仕事が終わらなかった。

彼は彼なりにプレッシャーを感じてはいたんだろうが、他の人のように早く終わらないなら少し先に来て仕事を始める、ということは思いつかない。
それでいて、他の人のように早く仕事が終わらないことがプレッシャーには感じていたらしい。

考えてみれば、この現場では彼が最年少で、一番の新入りである。
しかし、役職で言えば新入社員とは言え、本社採用の正社員で責任者だ。

ごく普通にしれっと
「僕、仕事が遅いんで。」
とか言えるようならいいが、そういうキャラクターではない。

いつも人の目を気にしたり、回りと自分を比べている。
そして、そのことで自分をどんどん追い詰めてしまう。
仕事がうまく行かなくても回りの人に相談したり、自分でどうしたらいいか、考えたりできない。
自分のことでいっぱいいっぱいで、自分のことしか考えられず、人とうまくコミュニケーションを取ることができない。
それで、ちょっと仕事がうまくいかないと簡単に仕事をやめてしまう。
こういう若い人が多いのだろうか。

彼と他のバイトの人たちでは一回りどころか20も30も年齢が上で、社会経験も豊富で仕事もそれなりにこなしてきたので、仕事を覚えたり段取りを考えて仕事をすることができるのだ。
入って数ヶ月の新入社員に、仕事の段取りを教えたからその現場の責任者だ、と言われてもそうそうできるわけではないだろう。
ましてや社会経験や仕事のキャリアも十分にあるわけではない。
会社も長い目で育てていく、と言っていた割には早くに独り立ちさせたのがいけなかったかもしれない。
大体入って数ヶ月で現場の責任者になれるわけはない。
今は長い目で人を育てることができなくなっているんだろうか。

そもそもこの会社の社員の年齢構成がおかしい。
この会社は、22歳の新入社員と同じ年代の20代前半の社員が一人。
その上は30代後半や40代半ば、50代、60代と続く。
22歳の新入社員と年齢が近く、そこそこ現場経験のある社員が身近にいて、もう少しいろいろ仕事のことなどの相談に乗ってあげられる人がいればよかったが、矢代さんは50代前半のおやじで、さらに全く人望のない人だったので、それは無理だろう。

辞めてしまった彼は、前職は道路の測定の補助作業員や警備員の仕事をしていたそうだが、それも長続きしなかったらしい。
本当は何が不満で辞めたのかがよくわからない。
非正規労働者の問題は、実は社員の定着率が悪く、人がいつかない、ということも大きな問題なんである。
こういうケースが今は多いわけで、それは労働者にとっても雇用主にとっても大きな損失だろう。