非正規労働者めぐろくみこのブログ

非正規労働者が日々感じていることを書いたログです。

会社を辞めるということ。

相変わらず掃除のバイトをしているが、それが本業ではなくて、本当は起業しているんである。

しかし、全然儲からないのでバイトをやめられないわけで。
その起業した仕事もいまだに細々と続けている。
一体この生活がいつまで続くのか、もう辞めてしまおうか、続けた方がいいのかと葛藤している毎日。
生活できる収入には程遠いが、少しずつ実績が上がっているのも事実。
それでもあまりの収入の低さに、心折れることの方が多い。

仕事は個人でやってはいるが、自分でできないところは外注している。
外注先はフリーでやっている個人で、この外注の人がコロコロ変わる。
金額を理由に辞めていく人や、忙しくなって、とやんわりと断られたりする。
要するに、私のようにたらたら個人で仕事をしている人と付き合ってもメリットがない、とたぶん向こうから見限られているのだろう。

今頼んでいる外注の女の人もそうで、これから仕事が忙しくなるので、もう仕事は受けられない、とメールが来た。

今は女性でもほとんど男性と同じ仕事をする人が多く、外注の仕事は男性も女性もいた。
仕事は男だから、女だから、ということはなく、専門の仕事だから男女差は全くない。
しかし女性の方が神経がずぶとく、気が強い人が多かった。
最近東京都都知事になった小池百合子などはその典型で、姿は女だが、中身は男よりも男らしいんである。

とにかく、やることが雑で、ガサツな人だった。
そして、人の話をよく聞かない。
また、細かいところでよくミスがあったり、よく確認せずにどんどん自分で仕事を進めてしまう。
これでよく仕事ができているな、という感じだった。
基本的なスキルは確かにあることはあるんだけど。
そして、そのミスを指摘しても、あんまり謝らないんである。
仕事のメールをしても、連絡がきちんと返ってこない。
普通はわかりました、とか確認のメールぐらいするものなんだけど。

彼女はなんで仕事の断りのメールを寄こしたのか。
やっぱりお互い気が合わなかった、ということか。
何回か仕事でやり取りしたが、なんとなくちぐはぐでうまく意思の疎通が取れていなかった。
彼女のメールの返事にちょっとカチンとしたこともあり、そうしたことにちょっと意地の悪い言い方をしたこともあった。
それが彼女の気に障ったのか。
やっぱり彼女と私は気が合わなかったのだ。

長い間、会社勤めをしていたので、よく上司から仕事の依頼を受けた。
考えてみると、私も彼女のように細かいところでよくミスをし、人の話をよく聞かず、自分でどんどん仕事をしてしまったことも多かった。
そう、彼女の仕事の仕方はかつての私と全く同じかもしれない。

最後にいた小さい会社は、社長が高齢でパソコンの操作に疎かったので、よく原稿をパソコン打ちさせられた。
本人は間違いのないように見直していたつもりだが、いつもどこかしらタイプミスがあった。
長い間一般事務職の仕事をしていたが、私はこういう細かい仕事が苦手なんである。

今、起業して、人に仕事を依頼する、ということがどういうことなのかわかる。
そして、仕事を依頼して出来上がった仕事は、極端に言うとその仕事をした人の人間性がすべて出ている。
雑な人は雑な仕事をするし、几帳面な人は几帳面に仕事を仕上げてくる。
能力的なものもあるだろうが、実はその人のした仕事は能弁にその人の性格や人格があらわれている。

そして、いつも人に使われている人の気持ち、というのもわかるようになった。
よく労使関係は同等である、というが、そんなことはない。
やはり仕事を依頼する側と仕事を請ける側では、気持ちの上で違う。
仕事を発注する側は、やはり心の中で何か余裕のようなものがあり、精神的に優位に立っている気がする。
そして、依頼を受ける側は、その依頼主のそうした気持ちを敏感に感じている。
依頼主によってはそうした感情を態度や言葉で露骨に表す人がいたり、逆にそうした気持ちを隠していても、その気持ちはやはり労働者側には伝わるんである。
労働者は、結局法律的に労働者の立場が保障されているとは言え、人に使われているという屈辱感を日常感じている。
人によって、働いている環境によっては、これはかなりの苦痛であり、屈辱的なことだと思う。

大きな組織になると、そうした直接的な労使関係はそんなに感じないかもしれないが、その代わり組織の中の役職とか上司とか、厳然とした上下関係があって、それが人によっては屈辱的に思うことがあるだろう。
組織というか、会社というのはそうした嫉妬や妬み、ヒガミの感情が渦巻いているところだ。

非正規労働者で常に感じていた不快感というのは、そうした組織の正規労働者との待遇の落差をあからさまに常に感じさせる組織だったからだ。
これは私が過剰に反応していたからだろうか。
いや、多くの非正規労働者が日常感じている感情だろう。

では、その組織の不快感をどうしたらいいか、といえば、結局は我慢するか辞めるしかない。

非正規労働者がいつも考えている不満や不快感もあるだろうが、正社員で働いていた会社でも社員が強い不満を持っている人も多いだろう。
それでも今は多くの正社員はその職場にしがみつき、我慢していることが多いと思う。

私は正社員で働いた期間の方が長かったが、転職も多かった。
バイトもいろいろやった。
そして、今考えると、簡単にやめていた。
引っ越すとか、何かどうしても辞めなければいけない理由よりも、その職場や仕事が合わないとか気に入らない、などの理由で簡単に辞めて来た。

私が働いていた会社は、小さい会社や個人でやっているような会社で、待遇が悪かったり、経営者や会社の体質が古かったり、ちょっと癖のある人がいたりした。
だからなのか、社員も会社に不満を持っている人が多く、人の出入りも激しく、しょっちゅう人が辞めていたのだ。
そして、そういう会社の経営者はバイトや社員が辞める、と言ってもなんの痛痒も感じないように見えた。
簡単に辞めていく社員を経営者は、「あ、そう。」というような態度でよほどのことがない限り引き留めることはなかった。
日常辞めていく人たちに対するそういう経営者の態度を、残った社員である私たちは「冷たい」とか「人を人と思っていない。」とか「結局人を利用しているに過ぎない」とかさんざん悪口を言っていた。
経営者は社員なんて、どうでもいいと思っていたのだろうか。

前いた小さい会社は、社長のワンマン会社だったが、社長のミスで多額の負債を抱えていた。
毎月の資金繰りが厳しく、月末になると銀行筋に融資のお願いをしたり、仕入れ業者に支払いを待ってもらったりしていた。
そういうことが小さいフロアで全部丸見えだったので、私達社員はこの会社に対して不安を持っていた。
社長が売上や資金繰りであからさまに機嫌が悪くなるのが手に取るようにわかり、雰囲気は最悪で、新しく入った社員はどんどん辞めていった。
社長は表面ではなんでもないように振舞っていただろうが、今思うとやはり社長はこたえていただろうと思う。

結婚して子供がまだ小さく、それでも働き続けていた彼女にとっては、自分のライフスタイルや仕事のやり方に合わない人や仕事は切っていく合理的な人だったんだろう。
依頼する側の方が結局は立場が強い。
だから仕事をしてもらう人に対してねぎらいの言葉や感謝の言葉をいつも言わないといけなかったのだ。
そして、仕事をしてもらう人の能力や性格をよくよく考えて、言葉を選んで発注しないと、思ったとおりの仕事の仕上がりにならない。

起業してみて、初めて社会や世の中を俯瞰してみることができるようになったのかもしれない。

今の清掃の仕事は私には合わない。
それはこの清掃の仕事についてから、蕁麻疹が出たことからもわかる。

このテナントビルは10月末に新しい所有者に代わるそうだ。
そうすると管理会社が変わるので、この清掃の仕事は終了になる。

仕事は清掃の仕事でなくても、探せばまだあるだろう。
いつまでもバイトで食いつないでいても意味がない。
人はどんどん辞めていっても、自分でどうやって仕事を回していくか、私が辞めていった経営者たちはいつも考えていたんである。