非正規労働者めぐろくみこのブログ

非正規労働者が日々感じていることを書いたログです。

最低賃金1000円

安倍首相がGDP600兆円実現のため、最低賃金1000円を目指すという。
今のバイトの時給は1100円。
前のスポーツジムのバイトはずっと950円(交通費込)だったが、今年1000円に上がった。
しかし、これ以上上がる見込みがないのと、社長の人格的問題もあり、このバイトは辞めたのだった。

最近の求人誌をざっと見たところ、やはり東京23区内は時給は大体1000円以上にはなっている。
時給は東京都が一番高いので、地方に行くとやはり800円ぐらいか、もっと低いところもあるだろう。
しかし、最低賃金がたとえ1000円になったからと言って、非正規労働者の問題が解決するわけではない。

今の労働問題は「正規労働者」と「非正規労働者」に二つに分断されているので、いつまでたっても非正規労働者の差別と低賃金は解決できない。

日本の労働組合は企業内組合で、その企業の正規労働者が対象である。
連合、という労働組合の委員長がかわった、とたまに新聞に出ているが、いったいこの人たちは何をしている人達なんだろう。

正規労働者の賃金が人件費で、非正規労働者の賃金は工費である、というのを聞いたことがある。
正規労働者の賃金と非正規労働者の賃金の格差を是正して、正規労働者の賃金を下げて、下げた分を非正規労働者の賃金を上げるべきだと、ある学者が指摘している。
この案は妥当だと思うが、現状ではそれを正規労働者は絶対に許さないと思う。

竹信三恵子氏の著作「ルポ賃金差別」という本は、非正規労働者と正規労働者の賃金格差や女性の正規労働者の低賃金や差別について、丹念にルポルタージュした優れた新書である。
著者は長い間朝日新聞で記者をされていたが、現在は和光大学の教授になり、この前もブラック企業だったかのNHKの番組にも出演されていた。

その本で印象に残っているのは、大型トラックの運転手について書かれた箇所である。
竹信氏が運送会社の大型運転手を取材した時のことだ。
大型トラックの運転は神経を使い、負担も大きいが、1日7時間労働で日給9000円、週5日勤務だと月給20万円である。
これではとても家族を養えないので、他の勤務もやり、月に月36万から37万を稼ぐ。
しかし、その分負担も大きいので、心身共にかなりしんどい。
一方、正規労働者の運転手は同じ仕事をこなして年収700万から800万程度である。
正規労働者は体にこたえる仕事や急な欠員や面倒で嫌な仕事はこうした非正規労働者の臨時職員にやらせろや、と言う。

24時間拘束される勤務形態の場合、仮眠時間4時間と休憩時間2時間を取らなければならないが、その時間にも仕事を割り当てられる。
さすがにこれはおかしい、と思い「仮眠時間にも仕事が回ってくるのだから、労働時間と見るべきだ」と主張して、京都地裁に提訴し、勝訴した。
そのため仮眠時間の労働賃金と深夜の割り増し分をもらえることになった。

その運転手は自分の待遇に疑問を感じ、新聞を読んで自分なりに勉強するようになったと言い、新聞の切り抜き記事を出した。
竹信氏はその記事を見て胸をつかれた、と書いている。
当時新聞社に勤めていた竹信氏が書いた、女性の非正規社員差別についての記事だった。
記事は1997年のものである。

その2年前、1995年には日経連が「新時代の『日本型経営』」を発表した。
それは、労働者を長期雇用をする正社員、専門性の高い働き手を必要な時に雇う社員、パートや派遣労働者の低賃金、不安定労働者と3つに色分けするという、経営者に都合よく労働者を格付けする内容である。
この経団連の発表から、これから非正規労働者が増えると考え、その端緒として女性の非正規労働者の差別について記事を書いたのだろう。
しかし、当時はまだ女性の非正規労働者は2割台だったので、さほど反響はなかった。
ところがその記事を自分のことのように感じていた人もいたのである。

よく賃金格差の問題が話題になるが、実はそれは格差ではなくて、差別だと竹信三恵子氏は言う。
差別は自分が自覚している場合と、自覚していない場合がある。
恐ろしいのは、自覚していない場合で、「この人は非正規労働者だから、低賃金でもいいんだ」とか「派遣だから3年で雇止め」と最初から思っている。
そういう決まりになっていたり、そういう法案が通ってしまっているので、経営者や正規労働者はそれでいいと思っている。
もちろん非正規労働者派遣社員は不満には思っている。
しかし、それは本当はおかしいことだが、正規労働者はそれがわからない。
非正規労働者の問題は、正規労働者とは関係ないと思っている。
知らない間にそれでいい、と思っていることが、実は差別を生んでいる。

少し前には、売れっ子のお笑い芸人の実母が生活保護を受けていたことがわかり、大バッシングがおき、しばらくテレビに出演できなかった。
テレビに出ると、「なぜあんなのを出すんだ」とクレームの嵐だったからだ。
何か問題があると、ある特定の人物をマスコミやネットでバッシングすることが多い。
日本の社会は、他人には厳しい社会だと思う。
何か落ち度があると、その人をバッシングする背景には、人々の不満や不安が大きいからで、それは生活の基盤が不安定だからだ。

そして、「非正規労働者」や「ニート」は長い間「自己責任」という言葉で片付けられていた。
しかし、本当は正規労働者になりたいが、なれないのでやむを得ず非正規労働者になっている人がほとんどである。
選択の余地がなく、非正規労働者になっているとしたら、それは「自己責任」とは言えない。

日本には階級制度はないが、やはり年収や意識、考え方などによって、いくつかのグループに分かれているように思う。
そうした階層はそれぞれが分断していて、決して交わることはない。
お互いがお互いを憎しみ合い、バッシングする世の中は、社会を分断し、協力し合ったり、連帯することがない。
政府にとってはそのように社会が分断し、憎しみ合う世の中の方が都合がいい。
そういう社会は個人が孤立化し、社会そのものがこわれているように感じる。
新聞の記事におどる虐待やいじめ、殺人事件は、そういう社会を反映している。
そして、本当に手を差し伸べなければならない人は、そうした社会の網の目から落ちている。

社会が分断し、選挙の投票率が約半数では、今の政治が国民の民意や利益が反映される政策が行われることはない。

正規労働者も非正規労働者も、労働者の地位は低く、企業や政府の言いなりである。

非正規労働者最低賃金が1000円になっても、格差は是正されない。
非正規労働者の問題を、正規労働者の人たちも同じ労働者の問題であると認識して、企業や政府に働きかけることができなければこの問題は解決しない。
自分たちがどのような生活や社会を望んでいるのか、その民意と政治が近い距離になり、他人に対して寛容になり、人の痛みを理解し、連帯することができたら、今の社会は変わるだろう。
しかし、残念なことに日本の市民社会はそこまで成熟していない。

このまま日本という国は没落していくんだろうと、最近では思うようになった。