非正規労働者めぐろくみこのブログ

非正規労働者が日々感じていることを書いたログです。

アカガミ 窪美澄

少し前に書評で取り上げられ、話題になった窪美澄の「アカガミ」を読んだ。

今、日本では少子高齢化が進み、適齢期の男女の晩婚化、非婚化、さらに出生率の低下が問題になっている。
安倍首相はこれからの時代は、一億総活躍時代で女性が輝く時代だという。
一方では「女の子は子供を2人産め」とか、「女は子供を産む機械だ」と言い放ち、そして結婚してもずっと働き親の介護でも離職するな、などと言われる時代である。

どうも今の日本は不穏な空気が漂っている。
そうした空気を感じて、窪美澄はこの「アカガミ」を書いたそうである。

アカガミは、SF小説である。
舞台は2030年の日本。
ある生物学者が2000年以降に生まれた若者は、40歳までしか生きられないと発表した。
2000年生まれを境に、今までの日本人とまったく異なる考え方や行動をするようになった。
若年たちの自殺の増加、他者とのかかわりを拒絶し、恋愛も結婚もせず、子供を持とうとしない。
一方、2000年以前生まれの中高年層は生活力旺盛で、恋愛にも積極的である。
しかし、これからの時代を担っていく若者が結婚や恋愛に消極的ではどんどん少子化が進んでしまう。

この小説の主人公ミツキは25歳になる女性で、とあるバーの地下のトイレで自殺を図るが、その時、国家公務員のセックスワーカー、ログという40代の女性に助けられる。
ログを通して、「アカガミ」という存在を知り、そのアカガミに申し込んだ。
アカガミは、国が適齢期の男女を集めてカップルを作り、同棲、結婚を経て出産までのケアを国が行う制度である。
「アカガミ」の審査を通ったミツキは、1週間の研修を経て、同じアカガミの申込者の異性を紹介され、政府の提供された住宅で同棲生活を始める。

ミツキはサツキという男性を紹介され、同棲生活が始まった。
政府の監視下の元、快適な生活を提供され、定期的な担当医師の指導の元、健康状態や性生活についての報告を行う。

多くの若者たちは異性に対する興味がなく、むしろ恋愛や性行為に対して嫌悪感すら持っている。
ミツキとサツキもそんな若い男女だが、二人で暮らすうちに、だんだんとお互いのことに興味を持ち、惹かれていく。

お互いにそれぞれの事情を抱え、何とか今の時代を生きていきたいと考えている。
生きる、ということはやはり他者とのつながりの中で、葛藤をしていくことに他ならないのだ。
やがてミツキは妊娠し、妊婦専用の住宅に引っ越し、手厚いケアを受けて出産するが。

小説の最後は唐突にあっけなく終わってしまう。

この小説に描かれている日本は、国による国民の管理が徹底し、出産も国が管理される社会になっている。
端的に言えば、人の命が国のものになっている。
だから、「アカガミ」なのである。

「アカガミ」は、太平洋戦争の時、政府が日本男子を徴兵する時に郵送された召集令状のことである。
当時、はがきは一銭五厘で、「アカガミ」はそのはがきの値段で日本男子は戦争に駆り出され、無条件に自分の命を国に差し出すことになっていた。
それがいかに愚かしいことだったのかを、暮らしの手帖社の編集長花森安治は「一銭五厘の旗」というエッセイに書いている。

それが時を超えて、2030年の日本に現れた。
国に命を無条件で差し出す、ということはなんら変わっていない。
生まれた子供は国に差し出されることになるが、最後にミツキとサツキが取った行動は?

今まで全く知らなかったミツキとサツキがだんだんとお互いに興味を持ち、惹かれあい、そしてお互いを必要とし、そして家族を作っていこう、と気持ちが変化するところは丁寧に描かれている。
しかし、国の政策であるアカガミの制度やその周辺の事情がも一つよくわからない。
アマゾンのレビューを読むと、後半のところがカズオイシグロの「私を離さないで」とどこかシンクロする、と書かれていたが、「私を離さないで」の方がその周辺のことがもっと詳しく描かれている。
「私を離さないで」は、人間が長寿のために、国家的事業として臓器提供者としてのクローン人間をつくるという話である。
そして、この事業に対する国の政策や世論、社会がどのように変化して行き、そしてかつての学校がなぜ廃校になってしまったのかが、かつての恩師の話からその秘密が明かされる。
こうした背景まできっちり描かれているので、小説に奥行きや広がりができ、説得力のある小説になっている。

「アカガミ」はその背景があまり描かれてないので、最後まで読んでもなんだか肩透かしを食らってしまう。
主人公のミツキの周辺の人間が、その辺をもう少し説明させたりできればよかったのかとも思う。
その辺が最後まで読んでもなんとなく消化不良を起こした感じでもの足りない。

「アカガミ」の出来はともかくとして、それでも窪美澄という作家は今注目されている作家であるらしい。
アマゾンのレビューを読むと、熱心なファンもいる。

窪美澄は1965年生まれ。
2009年「ミクマリ」で女性による女性のためのR-18文学大賞を受賞して作家デビュー。
2011年、受賞作を収録した「ふがいない僕は空を見た」で山本周五郎賞を受賞し、さらに本屋大賞第2位になった。
小説は映画化もされ、トロント国際映画祭に出品。
2012年「晴天の迷いクジラ」で山田風太郎賞を受賞。
かなり注目されている人ではあるらしい。
窪美澄の小説のテーマは「生と性」であるという。

SF小説にしては情緒的。
しかし、小説の背景を見ると、今の日本の情勢とどこかでシンクロしていて、とても絵空事、という感じがしない。
そうした時代の空気が、作家の触覚に引っかかったのかもしれない。

つい最近の参院選やイギリスのEU離脱か残留かの国民投票の結果を見ていると、いろいろ考えさせられる。

国がたとえ一部の国民であれ、犠牲や我慢を強いる政治はおかしい。
国の利益と国民の利益は一致しない。
国民の選択が必ずしも正しい、とは限らず、国も国民も時として誤った判断をする。
しかし、国や国民が誤った判断をしそうになった時、その過ちに気が付いた国民はどうしたらいいのだろうか。
多くの人が政治や国の政策に興味がない。
今の時代は、新聞や小説を読む人はごく一部である。
この小説を読んで、今の日本に危機感を覚える人たちが一握りしかいない、という事実に実は愕然としている。