非正規労働者めぐろくみこのブログ

非正規労働者が日々感じていることを書いたログです。

デモについて

NHKのニュースを見ていたら、中国の習近平国家主席の英国訪問を伝えていた。

テレビでは、キャメロン首相と習主席の2ショットが放映され、英国は今回の習主席の訪英で、7億超の商談を成功させたのである。
習主席が英国議会で講演を行い、晩さん会に出席するなど、手厚いもてなしを受けた様子が報道された。
しかし、私が驚いたのは、このような中国に対する英国政府の対応に、一般英国市民がデモを行ったことである。

それは、「中国側に対する英国の卑屈とも思える態度や経済政策に偏りすぎること。そして、中国の人権侵害を問題視していない。」ことに対する抗議のデモであった。

政府の行う政策が必ずしも民意に沿っているとは限らないこと。
そして、その場合はデモをしてもいいんだ、ということである。

当たり前といえば当たり前だが、今までデモは特別なことだと思っていた。
デモをする人は一般の人たちではない、特別な人だと思っていた。
だからもちろん、デモに参加したことはない。
もうずっと前から市民運動が一部の人たちが行っていることは知っていたが、やはりふつうの人達ではないと思っていた。

森まゆみという作家は、長い間「谷根千」というタウン誌を発行しながら、一方では市民運動にかかわっていたと筆者紹介文に書かれてあった。
最近では、コンペで採用された新国立競技場は神宮の森の景観にはふさわしくないと、反対運動をしていた。
市民運動というのは、こうした一部の意識の高い人たちが行うものだと思っていた。
この前の原発デモで、デモに参加したのは20年ぶり、と言っていた上野千鶴子もそうである。
20年前はこうした女性の学者が市民運動を行っていたのだ。
市民運動は地味で結果がわかりにくく、自分には関係ないことだと思っていた。
ところが、新国立競技場は最初のコンペの案が中止されたのである。
運動の成果なのかわからないが、こうした声を上げなければ、新国立競技場は中止されなかった。

それ以外にも、たとえば裁判を起こして裁判所や国会前などでデモを行うケースもあったかもしれない。
それも、ニュースなどで判決が取り上げられて、ついでにデモの様子などを映し出していた。
特別関心を持って見ていたわけではない。
やっぱり人ごとなのだった。

2011年、若者が格差や雇用の改善を求めて始まったウォール街デモも何となく知っていたに過ぎない。
そのデモがSNSを通じて全世界に波及した、というのも何となくうろ覚えである。

そして、その結果、何が変わったのだろうか。
というより、それで世界は、世の中はよくなったのだろうか。

それがよくわからない。

原発デモで日本は何が変わったのだろうか。