非正規労働者めぐろくみこのブログ

非正規労働者が日々感じていることを書いたログです。

フリーで働くということ

制作物を頼むために、初めての制作者に会った。
相手は30代前半の男性で、肩まである髪にパーマとカラーがうすぅく取れかかっており、白地のTシャツに薄手のカーディガン、茶系か深い緑だったかのコットンパンツとパンツの色に合わせたスニーカーだったか、カジュアルな靴を合わせている。
ナイロンバッグを持ち、とりあえずはクリエーターといったところか。
支払条件などの提示をすると、「xx様(私のこと)のおっしゃるとおりでいいです。」と言う。
予算は確定していないが、最初に大体制作費の半金を支払うと言うと、真面目な顔をに取り繕っているが、内心のうれしさが顔に表れていた。
最初の取り決めより予算が大きくなったことも影響しているだろう。

制作費の件で話をしていると、「1頁の制作費は一律xxx円です。」と言う。
しかしA、B頁の制作は重要なので、高くてもいいが、C、Dはすでに、ある程度制作してあるので、そんなに手間がかからないと思われた。
そこで、「A、Bは重要な頁で制作の手間もかかるので、xxx円でもいいが、C、Dの頁はそんなに手間がかからないので、少し安くしてほしい」と言うと、
青年は「よく、制作について説明をするんですが、何回説明してもわかったもらえないので、一律xxx円です、と説明することにしたんです。」と言ったのだった。
「A、Bはxxx円で、C、Dはxxx円でいいです。」と言う。
C、DはA、Bの5分の1の料金になった。
なんだ、こんなに安くなるのか、と内心呆れた。

話をしてみると、制作費については強気の発言をし、支払条件については弱気の発言をする。
その他の質問にも弱気と強気の発言が、まだら模様のように出てくるのがおかしい。

「こういうことはできますか?」
「あ、それはできません」とにべもなく言う。

いとうせいこうの本で…」と言うと、
「あ、僕、そういうの、うといから。」と、まったく興味を示さない。

自分のできることはこれとこれ、興味のないことは簡単にスルーする。
自分で自分を規定して、新しいことをどんどん吸収しようという意欲がない。
与えられたことに満足し、欲がなく、スケールが小さくてこじんまりとまとまった感じがする。
あんた、そんなふうだと、5年後、10年後、仕事はないよ、と思ったが、黙っていた。

青年は、制作会社で10年仕事をしたが、会社は都心から最近田舎の方に引っ越したそうだ。
今はどの会社もそうだろうが、制作会社の経営は厳しいだろう。
青年は仕事の現場で理不尽な思いや不愉快なことが多かったのだろうかと、打ち合わせをしている時にふと思った。

制作物の依頼はこれで3回目である。
2度め時は、ものすごく安いお金でやってもらうことが条件だったが、彼女は内心、その金額に不満だったのだろう。
それでも引き受けたのは、私の仕事の内容に漠然といいイメージがあったからで、頼まれてもいないのに、こんなのはどうでしょうかと自分でラフ案を書いてきたりした。
その後、ちょっとした行き違いがあり、結局途中で仕事を放りだすような形で、納品もせず、したがって支払いもいいです、と彼女から一方的に言われて辞めてしまった。
もっといろんなことがしたいと提案してきたのだから、交渉する余地もあったのではないか。
何で、自分で先にキレて辞めてしまったのだろう。
しかし、私自身も若い頃は嫌になるとぱっぱと辞めていったので、人のことは言えないか。

一番最初もかなり安い単価で依頼した。
私の指定した通りの仕事はこなしてくれたので、こんなもんかと思っていた。
前回の女性のようなことはなく、きちんと仕事はした。
しかし、今にして思うと、制作者の態度は「どうせ安い単価だから、この程度でいい」と言う気持ちで、依頼している私をどこかで見下した態度だったように思う。

世の中、結局お金なのか、と思う。

ものすごく安い単価で発注していれば、注文を受けた人は、どうせxxx円だから、と思うんだろう。

仕事を途中で放棄してしまった人は、仕事に対して思い込みが強すぎたのだ。
フリーでやっていく人たちに仕事を頼んで感じたのは、発注する金額によってその金額で割り切って働いている、ということだった。

フリーの仕事は厳しいが、これからの時代、その仕事を5年先、10年先もやり続けることは、なんだかむずかしいように私には思われる。