非正規労働者めぐろくみこのブログ

非正規労働者が日々感じていることを書いたログです。

母性という名の幻想

ちくま新書 ルポ虐待 −大阪二児置き去り死事件 杉山春の本を読んだ。
この事件は2010年夏に3歳の女児と1歳9ヵ月の男児が、大阪市内のマンションで死体となって発見された。
子供たちはろくな食べ物も与えられず、50日間放置され、さらに部屋と戸口には外からテープが張られ、鍵がかけられていた。
育児放棄をしていた母親(芽衣さん)は、その間遊びまわり、その様子をSNSで写真や文章を紹介していた。
そして、子供らの死亡を確認した後も、男友達と遊びに出掛けていた。
事件は大きくメディアで取り上げられ、風俗嬢として働いていた芽衣さんは営業用に撮影されていた写真が何度もテレビや雑誌に取り上げられた。
判決は、責任能力があり、殺意があったとして、児童虐待としては非常に重い懲役30年の刑が確定した。
著者杉山春は、なぜこのような事件が起こったのか、その原因を探るべく、芽衣さんの生育歴、事件が起こるまでの足取りを丹念に追い、多くの人に会い、取材を重ねた。
判決では森裕氏の「殺意があった」とする、精神鑑定が採用されているが、著者は「虐待の臨床経験は『膨大な数に上る』とする西澤哲氏の『殺意はなかったと断言できます』」との鑑定を支持している。
そして、この西澤氏の心理鑑定を元にこの事件を読み解いている。
芽衣さんの生育過程には、父親の二度の離婚、父親の次々と変わる恋人の存在があり、幼児期から中〜重度の虐待を受けていたのではないかという。
そして、中学に入るといじめにあい、家出を繰り返し、集団レイプにあう。
このような辛い過酷な目に遭うと、現実の中で感じる痛みや感情をなくし、さらに記憶をなくしてしまうという自己防衛が働くのではないかと西澤氏は指摘している。
著者は芽衣さんとの面会で、「考えても考えても、自分がやったこととは思えない。なぜこうなってしまったのか、自分の中でもまだ整理ができていないんです」という発言から、「リアルな記憶を保持できない。」「離人症的傾向を現しているようにも感じられ」たという。
常に自分をよく見せようと「盛り」、何かトラブルがあるとその場から「飛んで」しまう。
芽衣さんの浮気が原因で、夫とその両親、祖父母、芽衣さんの父とその恋人が集まり、断罪させられ、当人たちの意思とは関係なく、芽衣さんは孤立無援のまま離婚させられてしまう。
その結果、育てきれず、子供たちを虐待し、育児放棄してしまう一方で、幸せに「盛った」自分の姿をSNSに投稿する。
そして、子供たちの死亡を確認しても、その場から逃亡して恋人と遊びに行く。
現実を直視できず、弱い自分を認めて回りの人に「助けて」と声を上げることができない。
著者は、最後の章「母なるものとは」で問うている。
「母親がすべてを引き受け、子供を育てなければいけない」のだろうかと。
世間では母性本能というがこれは実は違うという。
作家、柳美里は「ファミリーシークレット」の著書の中で、児童虐待・家庭病理・自殺・自傷行為を専門とする臨床心理士である長谷川博一氏との対談の中で言っている。
柳「母性って、みんながみんな持っているものなんですかね」
長谷川「これは学習するものですね。母性本能というのは半分嘘で、本能ではない」と述べている。
さらに長谷川氏は「子どもが母性に育まれるのは10年ちょっと。柳さんはその時期に『母性に育まれる』という経験をしてこなかった。だから、母性がなにか解らない。」
柳「母性がなにか解らないから、母親としてうまく接することができないんですね。」と言う。

著者杉山春は、この取材の中で何度も、この事件を防ぐことはできなかったかと問うている。
芽衣さんは母性というものに触れる機会がなかったのではないか、あるいは思春期に心に寄り添う大人の存在がなかったのではないかという。
そして行政での助け、介入ができなかったかと。
西澤氏の心理鑑定をすべて肯定するわけではないが、芽衣さんのおかれた環境を考えると、この事件のすべての原因が母親である芽衣さんの責任とは言い切れない。
この懲役30年の刑は重いと思う。
そして著者が言うように、育てきれないなら「母親から降りる」という選択も大事なのではないか。
この事件には貧困の連鎖があり、親に虐待された子どもは親になると今度は子どもを虐待するという、虐待の連鎖がある。
そしてそれは母親たちの心の中にかかえる心の闇だと思えてならない。