非正規労働者めぐろくみこのブログ

非正規労働者が日々感じていることを書いたログです。

希望について

大学をやっと卒業したのに働かない子供。
地方の営業所に飛ばされて仕事に行き詰まり、会社を辞めて自宅に戻ったのはいいけれど、それ以来働けず、ひきこもりになってしまう息子。
学校を中途でやめて、ずっと部屋に引きこもっているので、「お姉ちゃんは太っちゃって、太っちゃって」とこぼす親。
親しくなって飲みに行くようになり、家族の話になると「弟は実はひきこもりなの。」と話す友人。
今や引きこもりやニートは珍しいことではない。
玄田有史の「希望のつくり方」を読んだ。
この本は、東京大学社会科学研究所を拠点に2005年度から仲間たちと「希望学」という研究を続けてきて、2009年に「希望学」として出版されたが、その本の内容を踏まえ、10代、20代の若者に向けて希望の話をする、という意図で書かれたそうである。
希望は与えられるものではなく、自分たちの手で見つけるものだということが書かれているが、こういうことを若者向けに書かなければならなくなったほど、日本には希望というものがなくなってしまったのか。
本書には村上龍の「希望の国エクソダス」に触れ「この国にはなんでもある、ないのは希望だけだ」と書かれているという。
村上龍の本は読んでいないが、今の若い人たちにとって希望がない、というよりも生きることが困難な時代になってしまったように思う。
学校を卒業することも、就職することも、働き続けることも、結婚することも、子供を作ることも、強い動機づけがないと生きられない世の中になってしまった。
今まで普通にできたことが、今の世の中ではうまくいかないことの方が多い。
今の子供たちは大変だな、と思う。
まるで障害物競争のようだ。
学校に行っていじめにあわないか、卒業できるか、就職できるか、結婚できるか、妻子を養えるか、リストラされないか、どこかでつまずいても自分でなんとかできればいいが、できなかったら誰かが手を差し伸べてくれるだろうか。
それでもうまくいかなくなって鬱病になってしまうとか、離婚されてしまうとか、そんな話はよくある話で、でも一方では普通に暮らせている人もいるんだろうが。
日本は豊かになりすぎた国の貧困の国になってしまった。
今から10年以上前、中国北京市に留学していた。
語学留学だったが、その時中国語の例題で「小さい子供は中国の希望の星です」というのがあった。
10年以上前の日本ではもうすでになくなってしまった「お年寄りを敬う」とか「小さい子供を大切にする」という考え方が中国ではまだ残っていた。
今でもまだそういう考え方は残っているのだろうか。
中国には少なくともまだ日本より希望があるような気がする。